私は美貴、四十歳。農家の夫・数也を支え、十四歳と十一歳の娘、義両親と六人で暮らしていた。
夜明け前に起きて畑に出て、収穫や出荷をこなし、帰れば家事を回す。給料はほとんどなく、義母に「住めるだけありがたいと思え」と言われ続けた。夫は週末になると飲み歩き、私はその穴埋めをした。文句を言えば「俺の稼ぎが少ないって言うのか」と怒鳴られた。
それでも離婚できなかった。頼れる実家もなく、娘を抱えて生きる自信がなかったからだ。唯一の救いは料理だった。余り野菜で工夫した食卓を、娘たちも近所の人も喜んでくれた。
ある日、テレビ局が来た。義母に「私は出るから、あんたは料理しな」と言われ、私はいつも通りの昼食とケーキを用意した。スタッフは何度も「おいしい」と言った。
放送後、周囲は騒いだが、夫は自分が注目されたと勘違いし、飲み歩きが増えた。
三か月後、夫は私の前に立ち、「好きな人ができた。離婚してくれ」と言った。相手は二十四歳で、「運命だと思う」と続けた。
義母も「若い嫁の方がいい」と言い、「子どもは置いていけ」と吐き捨てた。
私は家を飛び出した。背後から娘たちが追い、「三人で出ていこう」と涙で言った。その言葉で決意し、兄に連絡した。
翌朝、荷造り中に外が騒がしくなった。出ると若い女性が夫に詰め寄っていた。その女性は例のゆりあだった。「奥さんと別れるって本当ですか?」と問い、「私は料理を尊敬してただけです」と怒った。
夫の勘違いだった。ゆりあは「この家に嫁ぐなんて絶対ない」と言い切った。
私はその言葉で迷いを捨てた。弁護士に依頼し、慰謝料と養育費を確保して家を出た。
それから五年。私は弁当屋を開き、娘たちと暮らしていた。店は評判を呼び、忙しい日々だった。
ある日、店に元夫と義母が来た。「うちで店をやらないか」と言う。変わらない態度だった。
そこへエプロン姿のゆりあが現れた。「今は共同経営者です」と静かに言う。彼女の実家は農家で、私は支援を受けて店を始めていた。
私は元夫を見て、「二千万円の詐欺に遭ったそうですね」と告げた。顔色が変わる。
「連れ戻したいなら、一千万円用意してからにしてください」私は笑って言った。
二人は何も言えず去った。
私はのれんを掲げ、「いらっしゃいませ」と声を出す。あの日の決断が、今の人生につながっていた。