私は佐野麻里子、四十歳。二人の子を育てながら働く母だ。
その日、私は息子タクトの授業参観で小学校を訪れていた。教室の後ろに立ち、ノートを取る息子の横顔を見つめる。ここまで来るまでの苦労を思い、胸が温かくなった。
――だが、その空気は廊下からの声で崩れた。
私は振り向く。そこに立っていたのは、妹の萩野秋乃だった。かつて私の夫・熊谷哲夫を奪い再婚した女だ。
秋乃は私を見て笑い、「久しぶり、お姉ちゃん」と言う。続けて私の服を見下し、「まだそんな服着てるの?地味ね」と小さく笑った。さらに「ウチより貧乏で大変でしょ」と言い放つ。
私は言葉を飲み込む。胸の奥で何かが切れた。
その時、隣にいた娘アンナが一歩前に出た。
アンナは秋乃を見上げ、「え?貧乏なのはアナタだよ?」と静かに言った。
秋乃が言葉を失う。
アンナは続ける。「ママが言ってた。お金は持ってるだけじゃなく、自分で稼いで使えることが大事なんだって」
教室の空気が張り詰める。
秋乃は笑い、「子どもに何吹き込んでるの」と言い返した。
私は娘の前に立つ。
そして秋乃を見て、「今、生活費を誰が払ってるか分かってる?」と問いかけた。
秋乃は戸惑う。
私は続ける。「医者の肩書きだけで安泰じゃない。あなた、家計も税金も把握してないでしょう。ローンも養育費も厳しいはずよ」
秋乃の顔色が変わる。
私は静かに言った。「貧乏って、人を見下さないと自分を保てない心のことよ」
周囲がざわつく。
秋乃は口を開くが、言葉が出ない。
その時、チャイムが鳴る。授業参観が終わった。
私はアンナとタクトの手を取り、教室を出る。
背後で秋乃が立ち尽くしている気配を感じたが、私は振り返らなかった。
――夫を奪われ、妊娠中に家を追い出されたあの日。
絶望しかなかった。
だが今は違う。
人を踏み台にしなければ立てない心こそが、本当の貧しさだと知っている。
私には、それを教えてくれた子どもたちがいる。
校舎を出ると、空は澄んでいた。