車いすの母を11年間同居介護してきた私。ある日、母が「そろそろ万が一を考えて、家や遺産を都会にいる長男に残すよう手続きをしないと」と言い出した。その言葉に私は冷静に答えた。「好きにしたら?私ここ出るから関係ないし。」すると、母が驚きの表情で「え?」と聞き返してきた。これまでの努力が一瞬で無駄になるような(続)
2026/04/20

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車いすの母と同居し、介護を始めて11年。
ある日、母に寝室へ呼ばれた私は、突然こう告げられた。
「家も遺産も全部、都会にいる長男に残すから」
私は意味が分からず固まった。
毎日介護してきたのは私なのに、母は感謝どころか「あんたが遺産をもらえると思ってたの? 厚かましい」と笑った。

私は彩佳、35歳。
母は事故で半身不随になり、私は在宅勤務をしながら実家に戻って介護を引き受けた。
兄は遠方に住んでいるが、生活費を多めに入れ、休みには介護も手伝ってくれていた。

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けれど母は昔から兄だけを特別扱いし、私には文句と嫌味ばかり。
何をしても否定され、ありがとうを言われたことは一度もなかった。

さらにある日、母のスマホに届いた通知をきっかけに、私は母がリハビリ施設の職員と親密な関係にあることを知る。
やり取りを追ううち、父と離婚する前から関係が続いていたことまで分かった。
私は衝撃を受けたが、その時は黙って介護を続けた。

だが遺産の話を聞かされた瞬間、ついに限界が来た。
私は立ち上がり、「好きにしたら。私ここ出るから関係ないし」と言い放ち、そのまま家を出た。

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向かった先は、数か月前に偶然再会した実父の家だった。
父から、離婚の原因は母の浮気だったこと、母が兄だけを連れて行こうとしていたことを聞かされ、私はようやく真実を知った。

その後、母に呼び出された喫茶店で、私は浮気の証拠写真を突きつけた。
さらに兄も呼んであり、兄は「もう母さんとは縁を切る。遺産も彩佳と平等に分ける」と宣言した。
母は泣いてすがったが、もう遅かった。

その後、母は施設に入ったが、希望通りの場所には入れず、不満だらけの日々を送っているらしい。
私は父と兄と三人で暮らし始め、ようやく穏やかな毎日を手に入れた。

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