「山で宴会をしよう!」そして5人は帰らなかった…1994年吾妻連峰雪山遭難事故
2026/05/31

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1994年2月、吾妻連峰で七人の登山グループが雪山遭難に巻き込まれた。リーダーのAさんは登山歴30年、山岳ガイドの資格も持つベテランだった。他の仲間も経験者で、山小屋に泊まりながらスキーで縦走する計画は、一見すると無理のないものに思われた。

しかし出発直後から、計画は少しずつ崩れていった。東京駅では予定の新幹線に乗れず、福島駅到着が遅れた。さらにタクシーも手配できず、マイクロバスに乗り換えたものの、凍結した道路で引き返すことになる。リフトも強風で一部停止し、一行は予定外の斜面をスキーで登ることになった。登山口に着いた時点で、すでに二時間以上の遅れと疲労が重なっていた。

分岐点では、設備の整った慶応東山荘に泊まる選択肢もあった。しかし「せっかく来たのだから」と、予定通り家型山避難小屋へ向かう。そこで彼らは酒と食事を広げ、午後十時頃まで宴会を楽しんだ。一方、近くの山荘では翌日の大荒れを知らせる警告が出され、他の登山者たちは下山や停滞を選んでいた。

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翌朝、一時的な晴れ間に安心した一行は出発した。だがそれは疑似好天だった。白浜尾根に着く頃には予定より大幅に遅れ、やがて吹雪が視界を奪った。目印を探して何時間もさまよい、疲労と寒さで仲間たちは次々と動けなくなる。

テントもツェルトもなく、雪洞を掘る道具もない。低体温症は容赦なく進行し、最終的に二人だけが自力で下山した。山に残された五人は、帰らぬ人となった。

引き返すチャンスは何度もあった。遅れた時、山荘を選べた時、天候を確認すべき時。その一つを逃した積み重ねが、悲劇を決定づけたのである。

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