妻を亡くしたのは、娘が生まれた日だった。
正確には、その少し後だ。
妻は昔から体が弱かった。
妊娠中に大きな病気が見つかり、医師から厳しい説明を受けた。
母親を優先するか。
子どもを優先するか。
そんな選択を迫られる状況だった。
そして妻は迷わなかった。
「子どもを助けてください」
それが妻の答えだった。
最後まで自分のことより娘のことを心配していた。
そして私に何度も謝った。
「一人にしてごめんね」
「早く新しい人を見つけて再婚してね」
そう言われた。
でも当時の私には無理だった。
高校時代から付き合い、
大学卒業後に結婚した幼なじみだった。
人生の半分以上を一緒に過ごした相手を失って、
すぐに次へ進めるほど器用ではなかった。
だから私は一人で娘を育てることを決めた。
慣れない育児。
仕事との両立。
夜泣き。
発熱。
保育園からの呼び出し。
毎日が必死だった。
気が付けば娘は保育園へ通う年齢になっていた。
そこで出会ったのが彼女だった。
若い保育士だった。
他の先生たちも親切だったが、
彼女だけは迎えに行くたびに言ってくれた。
「お帰りなさい」
最初は何気ない挨拶だと思っていた。
でも不思議だった。
仕事を終えて帰る家には誰もいない。
「ただいま」と言う相手もいない。
だからその言葉が妙に胸に残った。
たった一言なのに、
少しだけ救われる気がした。
彼女は娘にもよくしてくれた。
娘の話を真剣に聞き、
小さな変化にも気付いてくれる。
保護者の私にも親身だった。
気付けば娘は家で先生の話ばかりするようになっていた。
ある日、私はお礼のつもりで夕食に招待した。
彼女は一人暮らしで、
いつもコンビニ弁当ばかりだと言っていた。
私は料理だけは得意だったし、
娘も先生と一緒にご飯を食べたいと喜んでいた。
本当にそれだけだった。
下心なんてなかった。
ところがある日、
娘が何気なく言った。
「先生がお母さんだったらいいのに」
私は笑いながら答えた。
「そうだなぁ」
ただ娘に合わせただけだった。
でもその話は、
いつの間にか本人の耳に入っていたらしい。
後から聞いた話だが、
彼女はその頃から私たち親子を意識するようになったそうだ。
それから少しずつ、
三人で出掛けることが増えた。
食事をしたり、
公園へ行ったり、
動物園へ行ったり。
彼女はいつでも自然体だった。
無理をしない。
見栄を張らない。
裏表もない。
娘に対しても、
私に対しても変わらなかった。
気付けば私のほうが惹かれていた。
正直、自分でも驚いた。
もう誰かを好きになることなんてないと思っていたからだ。
妻を失ったあの日から、
恋愛なんて自分には関係ないと思っていた。
でも違った。
人を好きになる気持ちは消えていなかった。
ただ、
その相手が現れていなかっただけだった。
私が29歳。
彼女が23歳。
決して派手な恋愛ではない。
ドラマみたいな告白もない。
でも振り返ると、
すべてはあの日の一言から始まっていた気がする。
「お帰りなさい」
家に帰っても聞けなかった言葉。
その一言が、
止まっていた私たち親子の時間を、
少しずつ動かしてくれたのかもしれない。
そして今。
娘はもう大きくなった。
けれど時々思う。
もしあの日、
保育園であの先生に出会っていなかったら。
もし娘が、
「先生がお母さんだったらいいのに」
と言わなかったら。
私たちは今も、
どこか寂しいままだったかもしれない。
人生は時々不思議だ。
失ったものは戻らない。
けれど、
失った後だからこそ出会える幸せもある。
私は今、それを心から信じている。