病院の待合室は、その日も多くの患者で混み合っていた。発熱した子どもを抱える母親、足を押さえて顔をしかめる高齢者、点滴を待つ人たち。誰もがつらそうな表情を浮かべながら、それでも静かに順番を待っていた。
その時だった。受付の前に、一人の男が大股で近づいてきた。高そうなスーツに身を包み、胸には議員バッジが光っている。
「急いでいるんだ。会議に遅れる。俺を先に診ろ」
待合室の空気が一瞬で凍った。受付の看護師である母は、顔色ひとつ変えずに答えた。
「申し訳ありません。皆さん具合が悪い中で順番をお待ちです。特別扱いはできません」
すると男は声を荒げた。
「俺は議員だぞ!地域のために働いている人間だ。少しくらい融通を利かせろ!」
周囲の患者たちは黙っていたが、その目には明らかな怒りが浮かんでいた。母は静かに立ち上がり、受付台の上に置かれた番号札を指さした。
「では、地域のために働く方なら、まず地域の皆さんがどれだけ苦しい思いで順番を待っているか、ご理解いただけますね」
男は言葉に詰まった。
母は続けた。
「議員である前に、ここでは一人の患者さんです。命や体調に、肩書きの順番はありません」
待合室に、張り詰めた沈黙が流れた。数秒後、誰かが小さく拍手をした。それが広がり、待合室には静かな拍手が響いた。
男は顔を真っ赤にし、何も言えずに番号札を取った。
その後、彼は最後まで黙って座っていた。母はいつも通り淡々と受付を続けたが、その背中は誰よりも頼もしく見えた。
本当に人のために働く人は、順番を飛ばそうとはしない。人の痛みを知っている人ほど、自分だけを特別扱いしろなどとは言わないのだ。