七十四歳の私は、癌の手術を目前に控えていた。
不安で胸が押し潰されそうになりながら、私は息子の明に電話をかけた。
「明日、手術なの。付き添ってもらえないかしら」
すると明は、ため息混じりの声で言った。
「母さんは大丈夫だろ。それより義母が微熱でさ、そっちの方が心配なんだ」
私は言葉を失った。
夫を早くに亡くした私は、女手一つで明を育ててきた。
昼はスーパー、夜は清掃、深夜は工場で働き、眠る時間を削って学費を稼いだ。
大学進学では八百万円を工面し、結婚の時には三百万円を渡した。
「母さんありがとう。必ず幸せになるから」
あの時の笑顔を、私はずっと信じていた。
けれど結婚後、明夫婦は急に私へ無関心になった。
年に数回だけ顔を見せ、安い菓子を置いて帰る。
体調を崩しても「母さんは強いから平気だろ」と笑うだけ。
その一方で、義母には別人のように尽くしていた。
高級食材を届け、微熱が出ただけで会社を休み、付きっきりで看病する。
私は寂しさを押し隠しながら、それでも「いざという時は息子が来てくれる」と信じていた。
しかし癌の告知で、その希望は砕け散った。
入院手続きも検査も全部一人。
看護師に「ご家族は?」と聞かれるたび、私は曖昧に笑った。
四時間の大手術を終え、目を覚ました私のそばにいたのは近所の友人だった。
その時、スマホに映った息子夫婦のSNSには、義母と笑顔で食事をする写真が投稿されていた。
添えられていた言葉は「家族の絆」。
それは、私が手術台の上にいた時間だった。
私は静かに悟った。
もう私は、あの子たちにとって母親ではないのだと。
退院後、自宅へ戻った私は、不動産会社へ向かった。
この家の名義は私一人。
息子夫婦には何の権利もない。
私は担当者に頭を下げた。
「この家を売却したいのですが」
買い手はすぐに決まった。
私は明へ短いメッセージを送った。
「この家は売却しました。来月末までに退去してください」
帰宅した二人は、玄関で立ち尽くしたという。
登記簿の名義を見て、ようやく現実を理解したのだろう。
泣きながら謝罪されても、私の心は動かなかった。
「あなたたちは、本当に大切な家族を自分で選んだのよ。なら、その選択に責任を持ちなさい」
今の私は、小さな新居で静かに暮らしている。
もう誰にも振り回されない。
家族とは血ではなく、苦しい時に寄り添える相手なのだと、私は人生の最後に学んだ。