妻が私の通帳を見た瞬間、目を輝かせた。
「残高、八桁もあるじゃない!」
その声には、隠しきれない喜びがにじんでいた。
結婚して二十年、私は仕事を掛け持ちし、飲み会も趣味も削って、少しずつ金を貯めてきた。
妻はそれを「どうせ大した額じゃない」と笑っていたが、通帳の数字を見た途端、急に態度を変えた。
「これで旅行も行けるし、車も買い替えられるね」
私は静かに首を振った。
「違う。これは住宅ローンを一括返済するための金だ」
妻の笑顔が止まった。
私は続けた。
「家はお前と子供たちに明け渡す。結婚二十年なら、条件を満たせば贈与税の心配も少ない。だから、離婚しようか」
妻は冗談だと思ったのか、最初は笑った。
しかし私が用意していた書類をテーブルに並べると、その顔色はみるみる変わった。
「なんで急にそんなこと……」
急ではなかった。
何年も前から、私は家族のために働きながら、家の中で居場所を失っていた。
私の給料は当然のように使われ、感謝の言葉はなく、疲れて帰っても「もっと稼げば?」と笑われた。
それでも子供たちが成人するまでは、と耐えてきた。
そして今、ようやく約束を果たせるだけの金が貯まった。
私は住宅ローンを完済し、家を残し、自分だけ出ていくつもりだった。
妻は慌てて「待って」と言ったが、もう遅かった。
通帳の八桁は、妻の贅沢のための金ではない。
私が二十年かけて、自分の人生を取り戻すために積み上げた、最後の切符だった。