女の子を庇った事故から、すでに十年が経っていた。
当時、飛び出した車から子どもをかばった男性は、代償として片足を失った。
世間では美談として語られたが、本人にとっての日常は一変していた。
後日、女の子の両親は涙ながらに頭を下げた。
「一生、補償します。亡くなるまで年50万円をお支払いします」
それは感謝というより、せめてもの償いだった。
男性はそれを受け入れた。ただし条件はつけなかった。
「その子が無事なら、それでいい」とだけ言った。
そして十年。
義足にも慣れ、静かな生活を送っていたある日、ふとした噂が耳に入る。
「助けられたあの子、結婚するらしいですよ」
その瞬間、男性は少しだけ言葉を失った。
嬉しいはずの話なのに、胸の奥が静かにざわつく。
自分が守った命が、大人になり、誰かと人生を歩き始める。
それは本来、喜ぶべきことだった。
数日後、男性は久しぶりにその家へ呼ばれた。
両親は以前と変わらず深く頭を下げる。
「本当に……あなたのおかげで、娘はここまで来られました」
そして娘本人が、ゆっくりと前に出てきた。
「ずっと……ありがとうございました」
その言葉に、男性は少しだけ微笑んだ。
「元気なら、それで十分だよ」
その後、両親は静かに話を切り出した。
「補償の件なのですが……娘も結婚しますし、区切りとして今後は——」
そこで男性は軽く手を上げた。
「もういいですよ」
全員が驚いたように顔を上げる。
「十年もらった。それで十分です。これ以上は、彼女の人生に必要ない」
そう言うと、男性は義足を軽く叩き、立ち上がった。
「もう、この件は終わりにしましょう」
外に出ると、結婚式の準備で飾られた街路樹が風に揺れていた。
守った命が未来へ進むその光景を見て、男性はようやく静かに息を吐いた。