入学前の数日は、本当に慌ただしかった。
名前付け、書類、持ち物確認。
毎日やることだらけで、
気づけば夜になっているような状態だった。
そんな時、
同じクラスのママから突然メッセージが届いた。
「給食エプロンって学校で買った?」
「自分で安いの探したいんだけど、どんな感じか分からなくて…一式貸してもらっていい?」
言い方は丁寧だった。
困っている感じもあったし、
私は特に疑わなかった。
新品ではあったけど、
“見るだけ”なら問題ないと思った。
むしろ役に立てるならいいか、
くらいの気持ちだった。
私はエプロン、帽子、袋まで、
全部きれいに畳んでセットにして渡した。
彼女は笑顔で言った。
「助かる〜!ほんとありがとう!」
その時は、
まさかこんな嫌な気持ちになるなんて思っていなかった。
翌日、
彼女は袋を返してきた。
ただ、受け取った時、
なんとなく違和感があった。
袋が少し膨らんでいた。
でも私は忙しくて、
その場では確認しなかった。
夜になって、
子どもの持ち物を整理していた時だった。
私は袋を開けた。
その瞬間、
手が止まった。
中に入っていたのは、
私がきれいに畳んで渡した状態とは、
まるで別物だった。
エプロンはぐしゃぐしゃ。
無理やり押し込まれたように丸まっている。
帽子も潰れて、
形が崩れていた。
そして何より、
目についたのが細かい動物の毛だった。
白っぽい毛が、
布全体にびっしり付いている。
私はしばらく固まった。
新品だった。
まだ一度も使っていない。
明日、
子どもが初めて使う予定だった。
それを、
こんな状態で返されるなんて思わなかった。
正直、
その場でLINEしようと思った。
でも一度深呼吸して、
スマホを置いた。
感情のまま送ったら、
きっと後悔すると思ったからだ。
ただ、
モヤモヤは全然消えなかった。
翌朝。
校門で彼女に会った。
彼女はいつも通り、
軽い感じで言った。
「昨日ありがとうね〜」
その瞬間、
私はもう流せなかった。
私はそのまま聞いた。
「見るだけって言ってたけど、
あれ、そのまま使ったよね?」
彼女の表情が一瞬止まった。
「え?いや、ちょっと確認しただけで…」
私はスマホを取り出し、
昨夜撮った写真を見せた。
「これ、返ってきた時の状態なんだけど」
そして続けた。
「あとこれ、ペットの毛だよね?」
彼女の顔色が変わった。
周囲にいた保護者たちも、
なんとなくこちらを見る。
彼女は小さな声で言った。
「たぶん…ついちゃったのかも…」
その言い方に、
また少しイラッとした。
“仕方なかった”みたいな言い方だったから。
私は落ち着いた声で言った。
「借りた物って、
元の状態に戻して返すのが普通じゃない?」
「新品で、
今日が初めて使う予定だったんだけど」
そこまで言うと、
彼女は完全に黙った。
近くにいたママの一人が、
小さくつぶやいた。
「それはちょっとね…」
空気が変わった。
彼女はしばらくして言った。
「じゃあ洗って返そうか」
でも私は即答した。
「大丈夫。
もういいから」
そして続けた。
「今後は貸さない」
それだけ言って、
私はその場を離れた。
歩きながら、
少し手が震えていた。
でも不思議と、
気持ちは軽かった。
我慢しなかったことを、
後悔していなかったからだ。
その日の夜、
保護者グループでこんな話題が出た。
「借りた物はちゃんと返さないとね〜って、今日話題になってたね」
名前は出ていない。
でも、
誰のことか分かる人には分かる内容だった。
彼女は何も発言しなかった。
それから数日後。
周囲の雰囲気が、
少しずつ変わっていった。
以前は普通に話していた人たちが、
なんとなく距離を取るようになっていた。
後から別のママに言われた。
「あの人、前からそういうところあるよね」
「いろいろ聞いてきたり、
頼んできたり、
それが当たり前みたいな感じで」
その時、
私はやっと腑に落ちた。
——今回だけじゃなかったんだ。
ただ、
今までは誰も言わなかっただけ。
私はたまたま、
そこで線を引いただけだった。
それ以来、
彼女から何かを頼まれることはなくなった。
私も、
無理に関わろうとはしていない。
怒っているわけじゃない。
ただ、
“ここまではOK”
“ここから先は無理”
その線を、
はっきり引いただけだった。