3月8日。
その日はWBCの試合があった。
私は家でゆっくり観戦しようと思い、
近所のホットモットで海鮮天丼を2つ買った。
熱々の天ぷらをつまみながら、
試合を見る。
そんな普通の夜になるはずだった。
異変に気づいたのは、
アジの天ぷらを食べようとした時だった。
なんとなく違和感があった。
説明しにくい。
でも、
「なんか変だな」と思った。
私は箸で衣を少し剥がした。
すると、
魚の身の表面に黒い丸い斑点が見えた。
一瞬、
手が止まった。
「……なにこれ?」
どう見ても普通じゃない。
腐敗?
寄生虫?
焦げ?
嫌な想像ばかり浮かぶ。
私は気味が悪くなり、
その場で店に電話した。
事情を説明すると、
電話に出た店員はあっさり言った。
「それはうちの特色なんです。」
意味が分からなかった。
私は聞き返した。
「特色?」
すると店員は少し面倒くさそうに言った。
「向こうでは普通の作り方なんですよ。」
さらに、
少し笑うような声で続けた。
「気にしすぎじゃないですか?」
その言い方が妙に自信満々で、
私は逆に迷ってしまった。
「そういうものなのかな……」
半信半疑のまま、
私はそのアジを食べてしまった。
——これが完全に間違いだった。
食後、
私は風呂に入った。
その瞬間だった。
突然、
体がゾクッと震えた。
寒気。
異常なレベルの寒気。
次の瞬間、
手足がビリビリ痺れ始めた。
「え……?」
立とうとしても、
足に力が入らない。
嫌な予感が一気に膨らんだ。
急いで布団に入ったが、
症状はどんどん悪化した。
吐き気。
めまい。
震え。
視界まで揺れてくる。
私はトイレへ向かおうとした。
でも、
立てなかった。
足が動かない。
私は床を這った。
本当に、
腕だけで体を引きずるようにして、
トイレまで進んだ。
便器に辿り着いた瞬間、
限界だった。
私は指を喉に突っ込み、
無理やり吐いた。
一回。
二回。
三回。
四回。
吐き終わったあと、
少しだけ呼吸が楽になった。
でも、
震えは止まらない。
私は悟った。
——これは普通じゃない。
震える手で119に電話した。
数分後、
救急車が来た。
そのまま病院へ搬送。
高熱。
下痢。
手足の痺れ。
医師は首をかしげながら言った。
「断定はできませんが、
魚が関係している可能性はあります。」
その瞬間、
頭に浮かんだのは、
あの黒い斑点だった。
実は、
衣を剥がした時、
嫌な予感がして写真を撮っていた。
レシートも残していた。
退院後、
私は店に再び連絡した。
事情を説明したが、
反応は冷たかった。
「うちの商品に問題はありません。」
つまり、
こちらを信じていない。
私は静かに言った。
「写真、撮ってあります。」
黒い斑点の写真。
レシート。
それを送った瞬間、
電話の向こうが黙った。
数日後。
今度は店ではなく、
保健所から連絡が来た。
「商品の調査を行います。」
さらにその後、
本部から電話が入った。
そして最後に、
店長本人から連絡が来た。
最初の店員とは、
まるで別人のような声だった。
「この度は本当に申し訳ありませんでした。」
深く謝罪され、
医療費のことまで気遣う言葉が続いた。
私は少し黙ってから答えた。
「もう二度と行きません。」
電話を切ったあと、
数日ぶりにその店の前を通った。
昼時なのに、
店の中は妙に静かだった。
前は昼になると、
外まで人が並んでいたのに。
今は、
客がほとんどいない。
中を覗くと、
客が一人もいない日もあると聞いた。
私は、
あの日の言葉を思い出した。
「それはうちの特色なんです。」
「向こうでは普通の作り方なんですよ。」
「気にしすぎじゃないですか?」
でも今なら、
はっきり言える。
あれは、
“特色”なんかじゃない。
ただ、
客を舐めていただけだった。