さち子は、定年退職した夫と穏やかな老後を過ごすことを夢見ながら、静かな毎日を送っていた。年金暮らしでも、夫婦二人なら十分幸せだと思っていたのだ。
そんなある日、35歳になる息子夫婦が訪ねてきた。息子は少し言いづらそうに口を開いた。
「マイホームを買いたいんだ」
金額は4500万円。それは、さち子夫婦の老後資金のほとんどだった。
さち子が戸惑っていると、息子の妻・ゆみが優しく微笑みながら言った。
「お父さんたちと一緒に住みたいんです。助け合って暮らせたら素敵じゃないですか?」
その言葉に、さち子は心を動かされた。家族みんなで暮らせるなら幸せだと思い、夫婦で話し合った末、4500万円を息子の口座へ振り込んだ。
そして一ヶ月後。さち子夫婦は荷物をまとめ、新居へ向かった。
しかし、家に着いた瞬間、違和感を覚えた。どこを見ても、自分たちの部屋がない。
不安になったさち子は、息子へ静かに尋ねた。
「私たちの部屋はどこかしら?」
すると息子は、呆れたように笑った。
「え? 部屋なんてないよ。一緒に住むって、同じマンションに住むって意味だけど?」
その瞬間、さち子は言葉を失った。完全に騙されたのだと理解した。
帰宅後、さらに息子から電話が来た。
「近くで安い部屋見つかったよ」
どこか小馬鹿にしたような声だった。だが、さち子は怒鳴らなかった。
静かに電話を切ると、机の引き出しを開け、一枚の契約書を取り出した。実は、振込前に夫の勧めで契約書を作っていたのだ。
そこには、「同居を前提とした援助であり、条件が守られない場合は全額返還する」という特約事項が記されていた。
さち子は深く息を吐き、静かに立ち上がった。
翌日、さち子は契約書を持って息子夫婦の前に座った。そして感情を抑えた声で言った。
「約束が違う以上、返してもらいます」
息子夫婦は顔色を変えた。ゆみは慌てて言い訳を始め、息子も「家族なのに大げさだろ」と苛立った。
しかし、さち子は一歩も引かなかった。
「家族だからこそ、約束は守るべきでしょう」
その冷静な言葉に、息子夫婦は何も言い返せなくなった。
裏切られても、さち子は感情で暴れたりはしなかった。家族だからこそ、信頼を踏みにじる行為だけは許してはいけない。
そう心に決め、静かに反撃を始めたのだった。