「ゼリー、全部食べちゃった…」――妊娠中でつわりに苦しむ私が、唯一口にできるゼリーを探した朝、冷蔵庫には一つも残っていなかった。康介はリビングでスマホを弄りながら、嬉しそうに笑っている。腹の中の子の分まで――そう思うと、怒りと悲しみで胸が張り裂けそうだった。
「わかった、買ってくるよ」と、ようやく出かけた彼の背中を見送りながら、私はただ座って待つしかなかった。三年前、食べっぷりが魅力的で好きになったあの人は、結婚してから食卓で「食い尽くす人」に変わっていた。作り置きの料理も、冷凍のハンバーグも、あっという間に消える日々。注意しても、説明しても、彼には届かない。悪気はない。けれど、妊婦で食べられるものが限られている私にとって、それは拷問だった。
つわりが少し落ち着き、食べられるものが増えても状況は変わらない。だから私は決意した――「自分と赤ちゃんの食事は自分で守る」。皿に取り分け、冷蔵庫の奥に隠す日々。
康介は不思議そうに首をかしげるだけ。悪気はなくても、目の前の食べ物しか見えていない人間に、どうしても理解は届かないのだ。
やがて限界が来たある日、私は荷物をまとめ、母の車に飛び乗った。数時間後、元気な娘を抱き、離婚届にサインをした。康介からの連絡は途絶え、食卓の奪い合いは過去のこととなった。今はただ、誰にも奪われない食事を、この子に当たり前に与えたい――そのために。
妊娠で学んだことがある。よく食べる人と食い尽くす人は、全く違う。目の前の人も見ているか、食べ物しか見ていないか。その違いに気付けた私は、ようやく自分と赤ちゃんを守る勇気を手に入れたのだった。