姑の嫁いびりが続く中、ついに限界を迎えた私は、救急車で運ばれる姑を目の前にしても「私は付き添いません」と断固拒否。これ以上耐えることはできないと感じ、私はすぐに引っ越しを決意。家を出て新しい生活を始めることにしたが、その後、(続)
2026/04/19

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私の名前はさつき、49歳。工場で事務員として働きながら、夫・康太、義母・マサコ、娘・さゆりと暮らしていた。だがその結婚生活は、義母の嫁いびりと夫の無関心に耐え続ける日々だった。

結婚直後から義母は私を使用人のように扱い、家事のすべてに難癖をつけた。夫はそんな母を止めるどころか、自分のことしか考えず、私にも娘にも関心を持たなかった。娘が生まれた時も、男の子でなかったことに露骨に落胆し、親子らしい情は見せなかった。それでも私は、生活と娘のために離婚を我慢してきた。

転機は義母の入院だった。転倒で運ばれた義母は、その後肺炎を併発して危篤になった。私は毎日病院へ通ったが、義母は最後まで私を罵り、夫は見舞いにも来ず、釣りを優先した。そして危篤の夜、私はついに限界を迎えた。医師に頭を下げて、「私は付き添いません」と告げ、そのまま病院を後にした。

家に戻って娘に離婚を決意したと話すと、娘も静かに賛成してくれた。

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翌朝、私たちは家を出た。その後、夫から怒りの電話が来たが、私は「あなたの親はあなたが見るべき」「もう離婚する」と言い切った。夫は私の収入を見下したが、私は長年働き続け、すでに管理職を経て役員になる立場だった。

こうして私は弁護士を通して離婚し、慰謝料も財産分与も受け取った。今、元夫は義母を自宅で介護し、二人で毎日言い争っているらしい。私は会社近くのアパートで新生活を始め、ようやく自分の人生を取り戻した。

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