羽田空港のロビーで、大手グループ会長・屋内恒和が突然倒れた。
周囲の人々は悲鳴を上げ、スマホを向けるだけだった。誰も近づけない。誰も処置できない。その時、人混みを押し分けて走り出したのは、空港の片隅でひっそり暮らす路上生活の少女、三浦洒落だった。
「どいてください。この人、呼吸していません」
汚れたジャンパー姿の少女に、周囲はざわついた。だが洒落は迷わなかった。男の胸元を開き、正確な位置に手を置くと、全身の力で胸骨圧迫を始めた。
「AEDを。早く!」
その声は震えていたが、指示は鋭かった。同行していた医師さえ動揺する中、洒落だけが冷静だった。通電、圧迫、再び通電。数分後、屋内の心拍が戻った瞬間、ロビーに安堵の拍手が広がった。
しかし救急隊が到着すると、洒落は名前も告げず姿を消した。彼女には、表に出られない理由があった。五年前、若き医師だった彼女は、上級医の判断ミスを押しつけられ、医師免許を失っていたのだ。
翌日、屋内は彼女を探し出した。古い簡易宿泊所で再会した洒落は、闇金に追われ、食べるものにも困る生活をしていた。それでも隣室の高齢者が倒れると、彼女は迷わず駆け寄り、低血糖だと見抜き、命を救った。
その姿を見て、屋内は確信した。
「あなたには、まだ医師の心が残っています」
洒落は首を振った。
「私は失格者です。人を死なせた人間です」
だが屋内は静かに告げた。
「昨日、あなたは私の資格を確認しましたか?ただ、目の前の命を救おうとした。それが本物です」
そして彼は、洒落に仕事と住まいを用意すると申し出た。表向きは総務部の契約社員。だが本当の役目は、重い不整脈を抱える屋内の体調をそばで見守ることだった。
失ったはずの人生に、もう一度だけ光が差した。
羽田空港で誰にも見向きされなかった少女は、ただの路上生活者ではなかった。
かつて命を救うために生き、今もなお、その手で誰かを救い続ける人だった。