昭和61年秋、岡山県北部の小さな村に暮らす吉田慶子さんは、母の体調不良を聞き、岡山市の実家へ向かうことにした。夫の田中誠、七歳の息子を残し、茶色いカバン一つを持って家を出たその朝、近所の人々にはいつもと変わらない姿に見えていた。
午前11時、慶子さんは高速バスに乗った。ところが午後1時過ぎ、休憩で立ち寄った蒜山サービスエリアで、彼女は忽然と姿を消す。座席に残されていたのは、ピンク色のハンカチ一枚だけだった。売店で飲み物を買ったという証言、トイレへ向かったという証言、駐車場で誰かと話していたという証言。目撃情報は食い違い、茶色いカバンも見つからなかった。
警察は夫、義姉、実兄、親切すぎる隣人・山本茂まで調べたが、決定的な証拠は出なかった。やがて事件は「家出ではないか」と片づけられ、十五年の歳月が流れていく。
平成13年、サービスエリアの解体工事で遺失物保管所が整理された。その奥から、埃をかぶった茶色いカバンが見つかる。
中には衣類、洗面用具、そして慶子さんの名前が書かれた手帳が残されていた。
再捜査で浮かび上がったのは、当時カバンの存在を知りながら黙っていた山本茂だった。彼は、あの日サービスエリアで慶子さんが黒い車の男と口論していたのを見たと告白する。その車の持ち主は、夫に金を貸していた同僚・佐藤良一だった。
さらに調べが進むと、佐藤は「夫に頼まれて慶子さんへ金を渡しに行った」と認めた。慶子さんはその場で夫へ電話をかけ、その直後に様子が一変したという。
十五年間、ただの失踪と思われていた事件。だが茶色いカバンは、慶子さんが自ら消えたのではなく、身近な人間関係の中で追い詰められていたことを静かに物語っていた。