結婚して十年。
子育ても少し落ち着き、私たち夫婦は久しぶりに二人だけの旅行へ出かけることになった。
目的地は海沿いのリゾートホテルだった。
部屋の窓から見える夕日。
静かな波の音。
日常の慌ただしさを忘れさせてくれる贅沢な時間だった。
私たちは部屋でゆっくり過ごし、夜は街を散歩した。
観光地の小さなレストランで食事を楽しみ、久しぶりに夫婦だけの会話を満喫した。
翌朝。
気分良くチェックアウトへ向かった。
ところがフロントで思わぬことが起きた。
スタッフが伝えてきた請求額は三万円だった。
予約したプランは二万円。
私は思わず聞き返した。
「金額が違うと思うのですが。」
するとスタッフはパソコンを見ながら答えた。
「夕食代が追加されております。」
私は首を傾げた。
「夕食は外で食べました。」
ところがスタッフは淡々と言う。
「ホテル側ではお客様用のお食事を準備しておりましたので。」
意味が分からなかった。
食べてもいない料理を請求される理由がない。
夫も不思議そうな顔をしていた。
さらにスタッフは続けた。
「今回は特別に一万円分だけ追加となります。」
私はますます混乱した。
「どういう計算なんですか?」
するとスタッフは笑顔のまま答えた。
「昨夜、お二人はお部屋で楽しい時間を過ごされていましたので。」
一瞬、空気が止まった。
私も夫も顔を見合わせた。
何を言われているのか理解できない。
「ちょっと待ってください。」
夫が低い声で言った。
「それと料金に何の関係があるんですか?」
しかしスタッフは悪びれる様子もない。
「お客様が満足された時間も含めて、当ホテルの価値と考えております。」
私は呆れて言葉を失った。
完全に意味不明だった。
その時だった。
後ろから別の男性の声が聞こえた。
「何の話ですか?」
振り返ると、支配人らしき男性が立っていた。
どうやらやり取りを聞いていたらしい。
スタッフは自信満々に説明を始めた。
だが説明を聞き終えた支配人の表情はみるみる険しくなった。
「そんな請求ルールは存在しません。
」
フロントが静まり返った。
スタッフの顔色が変わる。
支配人はさらに続けた。
「お客様が利用していないサービスを請求することは禁止されています。」
スタッフは慌てて何か説明しようとした。
しかし支配人は首を振った。
「それにお客様のプライベートについて言及すること自体、大変失礼です。」
私たちはようやく事情を理解した。
どうやら新人スタッフが独自の解釈で料金を処理しようとしていたらしい。
支配人は深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした。」
再計算された請求額は、予約通り二万円だった。
さらにお詫びとしてホテルの利用券まで渡された。
帰りの車の中。
夫は苦笑しながら言った。
「今までで一番意味不明な請求だったな。」
私も思わず笑ってしまった。
確かに不快な出来事だった。
だが最後にきちんと責任者が対応してくれたことで、少しだけ救われた気持ちになった。
どんな仕事でも、人は間違える。
大切なのは、その後どう対応するかだ。
あの日のホテルで一番印象に残ったのは豪華な部屋でも料理でもない。
間違いを認め、真っ先に頭を下げた支配人の姿だった。
そして私たちは改めて思った。
誠実さこそが、本当のサービスなのだと。