「お母さん、どうして私たちの赤ちゃんの頃の写真が一枚もないの?」
娘たちが高校生になった頃から、そんな質問が増え始めた。
私は笑顔を作った。
「引っ越しが多かったからね。どこかでなくしちゃったのよ」
そう答えるたびに胸が痛んだ。
本当は知っていた。
その写真を持っていない理由を。
だって私は――。
二人を産んだ母親ではなかったから。
私は伊藤ミキ。
産婦人科医だった。
結婚して何年も子どもを望んだ。
だけど授かれなかった。
そのせいで夫との関係も壊れた。
ある日、病院の倉庫で夫と看護師の裏切りを目撃した。
「君は子どもも産めないだろ」
その言葉は今でも忘れられない。
離婚後、私は仕事だけを支えに生きていた。
そんな時だった。
一人の男が現れた。
「先生、子どもが欲しくありませんか?」
私は警戒した。
だけど男は写真を見せた。
そこには着物を着た可愛い双子の女の子が写っていた。
「この子たちを引き取ってほしいんです」
今なら間違いだったと分かる。
でも当時の私は壊れていた。
正常な判断なんてできなかった。
そして私は二人を引き取った。
サクラともも子。
三歳だった。
最初の夜を今でも覚えている。
「お母さんに会いたい……」
「おうち帰りたい……」
二人は泣き続けた。
私は一晩中抱きしめた。
「大丈夫だから」
「お母さんがいるから」
本当は私が一番泣きたかった。
だけど泣く資格なんてないと思っていた。
それから何十年も経った。
サクラはピアニストになった。
もも子はIT企業で働くようになった。
二人は立派に成長した。
私の自慢の娘だった。
だけど秘密だけは消えなかった。
そして2026年。
私は膵臓がんの末期と診断された。
医師に言われた。
「長くても半年です」
病室で一人になった時、私は初めて声を上げて泣いた。
死ぬことが怖かったんじゃない。
真実を隠したまま死ぬことが怖かった。
ある日、私は娘たちを病室へ呼んだ。
「大事な話があるの」
二人は心配そうに顔を見合わせた。
「何、お母さん?」
私は震える声で言った。
「あなたたちには、本当のお父さんとお母さんがいるの」
病室が静まり返った。
「え……?」
「どういう意味?」
私は38年間隠してきたことを全て話した。
話し終わった時、もも子が震えながら言った。
「じゃあ私たち……誘拐されたの?」
私はうなずいた。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
サクラは立ち上がった。
「そんなの……嘘だよね……」
そして病室を飛び出した。
私は追いかけられなかった。
資格がなかった。
翌日、私は警察へ連絡した。
全てを話した。
その後、DNA鑑定が行われた。
結果は一致。
二人には本当の両親がいた。
秋田県で38年間娘を探し続けていた夫婦だった。
数日後。
私は病室で待っていた。
ドアが開く。
そこには娘たち。
そして年老いた夫婦が立っていた。
私は思わず頭を下げた。
「申し訳ありません……」
何度も。
何度も謝った。
すると女性が近づいてきた。
私は覚悟した。
怒鳴られると思った。
恨まれると思った。
だけど彼女は私の手を握った。
「顔を上げてください」
私は驚いた。
女性は涙を流しながら言った。
「娘たちを育ててくださって、ありがとうございました」
私は耳を疑った。
「え……?」
「本当にありがとうございます」
その瞬間、私は崩れるように泣いた。
38年間抱えていた罪悪感が一気に溢れ出した。
その横で娘たちも泣いていた。
「お母さん」
サクラが私の手を握った。
「お母さんが育ててくれたことは本当だよ」
もも子も泣きながら言った。
「私たちのお母さんは、お母さんだから」
私は声にならなかった。
人生で一番幸せな瞬間だった。
そして数日後。
私は家族全員に見守られながら静かに目を閉じた。
最後に見た景色は、
二人の娘と、
二人の父親と、
二人の母親が一緒に笑っている姿だった。
その瞬間、私はようやく思えた。
「これでよかったんだ」と。