発達障害の息子が作った泥団子。その中身を見た日、私は母親をやめようと思った。
2026/06/17

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私はもう限界です。

誰かに助けてほしいわけではありません。

慰めてほしいわけでもありません。

ただ、この世界のどこかに、私と同じように苦しんでいる親がいるなら、「一人じゃない」と伝えたくて書いています。

私は38歳のシングルマザーです。

小学一年生になる息子がいます。

息子が三歳の時、夫と離婚しました。

表向きの理由は性格の不一致でしたが、本当は違います。

息子に発達の遅れがあることが分かってから、夫は次第に子どもを受け入れられなくなりました。

「何度教えても覚えない。」

「普通の子ならもうできる。」

そんな言葉を聞くたびに、私は息子を守らなければならないと思いました。

だから離婚を選びました。

あの時は、それが一番正しい選択だと信じていたのです。

昼は仕事、夜は家事。

休みの日は療育施設や地域の支援センターへ通う生活が続きました。

同じ年頃の子どもたちが笑いながら遊んでいても、息子は輪に入ろうとはしません。

一人で壁を眺めたり、小石を並べたりして時間を過ごしていました。

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幼稚園の先生からも、

「今日も一人で遊んでいました。」

「お昼寝の時間も眠らず、ずっと座っていました。」

そんな報告を受けるたび、自分の育て方が悪かったのではないかと責め続けました。

それでも四歳を過ぎた頃、少しずつ言葉が増えてきました。

「ママ。」

その一言を初めて聞いた日は、嬉しくて泣きました。

ある日のお迎えで、息子は泥だらけの手を私に差し出しました。

「ママ、だんご。」

小さな丸い泥団子でした。

先生が笑いながら教えてくれました。

「今日は一日中これを作っていたんですよ。」

私は思いきり褒めました。

「すごいね。こんなにきれいな丸は見たことがないよ。」

息子は照れくさそうに笑いました。

その日から毎日、息子は泥団子を作っては私に渡してくれるようになりました。

小さな花を飾ったり、色の違う石を埋め込んだり、自分なりに工夫を重ねる姿を見るのが、私の何よりの楽しみでした。

「これはママ。」

そう言って渡してくれる泥団子は、私たち親子をつないでくれる宝物でした。

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小学校へ入学しても、その習慣は変わりませんでした。

友達はほとんどできませんでしたが、学校から帰ると真っ先に庭へ行き、黙々と泥団子を作ります。

そして完成すると、必ず私のところへ持ってきました。

私はその時間が好きでした。

けれど、ある夏の日から少しずつ違和感を覚えるようになります。

最初は泥団子の中へ、色のきれいな小石が入っていました。

次は木の実。

さらに数日後には、乾いた葉っぱや羽が混ざるようになりました。

私は「面白いことを考えるね」と笑って受け止めていました。

息子は私が喜ぶ姿を見ると、本当に嬉しそうな顔をしていたからです。

しかし、その頃から学校でも先生に言われることが増えました。

「お友達との距離感が少し難しいようです。」

「相手の気持ちを読み取るのが苦手なのかもしれません。」

療育の先生も交え、少しずつ関わり方を考えていきましょうという話になりました。

私は希望を捨てていませんでした。

時間はかかっても、この子はきっと成長する。

そう信じていたのです。

ところが、その夏休みの終わり。

学校から帰ってきた息子は、いつものように満面の笑みで泥団子を差し出しました。

「ママ、見て。」

その瞬間、私は言葉を失いました。

泥団子の中には、これまでとは明らかに違うものが混ざっていました。

私は胸が締めつけられる思いで息子の顔を見つめました。

息子は私が驚いた理由も分からないまま、ただ「ママが喜ぶと思った」と笑っていたのです。

その笑顔を見た時、私は初めて、自分一人の力だけではこの子を支えきれないのかもしれない、と恐ろしくなりました。

あの日の出来事から、私は眠れなくなりました。

目を閉じるたび、息子が笑顔で泥団子を差し出す姿が浮かびます。

そして、その中に混ざっていたものを思い出してしまうのです。

私は毎日、「私の育て方が間違っていたのではないか」と自分を責め続けました。

仕事中も集中できず、家へ帰れば息子の行動ばかり気になりました。

息子は相変わらず私のことが大好きでした。

学校から帰れば、

「ママ、今日ね。」

と、その日にあった出来事を少しずつ話してくれるようになっていました。

それなのに私は、笑顔で話す息子を見るたびに、心の奥で恐怖を感じるようになってしまったのです。

ある日、学校から連絡が入りました。

「少しご相談があります。」

担任の先生、特別支援教育の担当、スクールカウンセラーの三人が待っていました。

私は最悪の報告を覚悟しました。

しかし先生は静かに言いました。

「お母さん、一人で抱え込んでいませんか。」

私は思わず涙があふれました。

これまで誰にも本当の気持ちを話したことがありませんでした。

私は、泥団子のことも、小さな命への接し方に違和感を覚えたことも、全部打ち明けました。

話し終わる頃には声が震え、息も苦しくなっていました。

カウンセラーは最後まで黙って聞き、

「とても苦しかったですね。」

そう言ってくださいました。

そして続けました。

「発達障害のあるお子さんの中には、命や痛みへの理解がゆっくり育つケースがあります。

だからこそ、専門家と一緒に学んでいくことが大切なんです。」

私は初めて、「母親失格ではない」と言われた気がしました。

その日を境に、息子は児童発達支援と心理療法を受けることになりました。

私自身も保護者向けのカウンセリングへ通い始めました。

最初は、「私だけが弱い母親なんだ」と思っていました。

ところが、同じように悩む親たちが何人もいました。

夜眠れない人。

子どもの将来が怖くて泣いてしまう人。

「もう限界です」と打ち明ける人。

私は初めて、一人ではないことを知りました。

ある日の面談で、担当の先生が息子へ粘土を渡しました。

私は胸が締め付けられました。

また丸いものを作り始めるのではないか。

そう思ったからです。

ところが息子は黙々と折り紙を広げ、先生に教わりながら球体を作り始めました。

「丸い形が好きなんですね。」

先生は笑いました。

「泥団子が好きだった気持ちは否定しません。でも、安全に楽しめる方法へ変えていきましょう。

私はその言葉に救われました。

数か月後。

息子は家へ帰ると、小さな紙の作品を私に差し出しました。

「ママ、プレゼント。」

それは何十枚もの折り紙を組み合わせた、小さな多面体でした。

「これはね、先生と作った。」

泥ではありません。

命あるものでもありません。

それでも、息子が私を喜ばせたいという気持ちは、あの日の泥団子と同じでした。

私は思わず抱きしめました。

「ありがとう。ママの宝物だよ。」

息子は照れくさそうに笑いました。

あの笑顔を見た瞬間、私はようやく気付きました。

変えなければならなかったのは、息子ではありません。

「私一人で何とかしなければならない。」

そう思い込んでいた私自身だったのです。

今でも簡単な毎日ではありません。

悩む日もあります。

泣きたくなる夜もあります。

それでも私は、苦しい時は助けを求めます。

学校の先生にも、主治医にも、支援員さんにも相談します。

一人で抱え込まないこと。

それが、この数年間で私が学んだ一番大切なことでした。

もし今、この文章を読んでいる誰かが、私と同じように「もう無理だ」と思っているなら、どうか一人で耐え続けないでください。

助けを求めることは、弱さではありません。

子どもを守るために必要な、勇気なのだと、私は今なら胸を張って言えます。

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