「今日は迎えに来ないよ」――彼女の手料理を食べた直後、私は“静かすぎる理由”に気づいた
2026/05/18

広告

ルカは、
私より先に玄関へ走ってくる犬だった。

鍵の音を聞いただけで、
廊下を駆ける足音が響く。

ドアを開ければ、
大きな体で飛びついてきて、
尻尾を振り回しながら私の顔を舐める。

それが、
毎日の当たり前だった。

だからその日も、
無意識に私は待っていた。

玄関の向こうから聞こえる、
あの足音を。

でも、

広告

聞こえなかった。

最初は気にしていなかった。

散歩で疲れて寝ているのかもしれない。
庭にいるのかもしれない。

そう思っていた。

彼女のスープを口にするまでは。

付き合い始めて数ヶ月。

彼女はよく尽くしてくれる人だった。

部屋を片付け、
料理を作り、
「あなたのため」という言葉を何度も使う。

少し重いと思う時もあった。

でも、
愛情深い人なんだと自分に言い聞かせていた。

その夜も、
彼女は嬉しそうだった。

「たくさん煮込んだから、絶対おいしいよ」

私は椅子に座り、
スープをすすった。

肉は柔らかく、

広告

出汁も濃い。

身体の芯から温まる味だった。

「うまい」

そう言うと、
彼女は子どもみたいに笑った。

「よかったぁ」

その笑顔に、
私は少し安心した。

誰かが自分を待っていてくれる。

その感覚が、
久しぶりだったから。

だからこそ、
次の言葉が理解できなかった。

「ねえ」

彼女は静かに言った。

「家の中、静かだと思わない?」

私は顔を上げた。

その瞬間、
胸の奥に違和感が走る。

静かすぎる。

いつもなら、
ルカの鼻息や足音がどこかから聞こえる。

でも今日は、

何もない。

私はスプーンを置いた。

「……ルカは?」

彼女はすぐには答えなかった。

ただ、
口元だけが少し動いた。

私は立ち上がり、
部屋を見回した。

寝室。
廊下。
庭。

どこにもいない。

名前を呼んでも、
返事がない。

急に呼吸が浅くなった。

嫌な予感だけが、
頭の中で膨らんでいく。

「ルカ、どこだ?」

私は思わず声を荒げた。

すると彼女は、
静かに言った。

「今日はもう、迎えに来ないよ」

時間が止まった気がした。

私は彼女を見た。

彼女は、
少し困ったような顔で笑っている。

「どうして気づかなかったの?」

その言葉で、
全身の血が冷えた。

私は震える声で聞いた。

「……何した?」

彼女は目を伏せ、
小さく呟いた。

「だって、
私が迎えたかったから」

意味が分からなかった。

いや、
脳が理解を拒否していた。

彼女は続けた。

「あなた、
いつも犬の方ばっかり見てた」

私は何も言えなかった。

耳鳴りだけが響く。

そして彼女は、

まるで料理の感想を待つみたいな顔で言った。

「だから、
私がちゃんと一つにしてあげたの」

数秒遅れて、
意味が繋がった。

私はテーブルのスープを見た。

湯気が立っている。

さっきまで、
“おいしい”と思っていたもの。

胃の奥が一気にひっくり返った。

「……嘘だろ」

彼女はゆっくり頷いた。

「あなたの犬、
すごく柔らかく煮えたよ」

その瞬間、
全身に鳥肌が立った。

ルカ。

私が仕事で落ち込んだ時も、
何も言わず隣にいてくれた犬。

帰りが遅くても、

必ず玄関で待っていた犬。

家族だった。

そのルカを、
彼女は――。

私は後ずさった。

でも彼女は、
本当に悪気がない顔をしていた。

むしろ、
褒めてほしそうだった。

「これで、
もっと私だけを見るでしょ?」

その笑顔が、
何より恐ろしかった。

怒鳴ることもできなかった。

涙も出なかった。

ただ、
頭の中で何度も同じことだけが響いていた。

家の中が、
静かすぎる。

その理由に、

私は気づくのが遅すぎた。

広告

AD
記事