十一月のある夜だった。
夫の和夫は、いつものように食卓につきながら突然言った。
「俺はもう自由に生きたい。離婚してくれ」
三十六年間連れ添った夫からの突然の言葉だった。
私は仕事をしながら家事をこなし、娘を育て、義母の介護にも関わってきた。楽な人生ではなかったが、家族のためだと思って頑張ってきた。
それなのに夫は言った。
「お前といると窮屈なんだ」
さらに家を売ること、離婚後も義母の介護は私に任せたいことまで当然のように話した。
怒りよりも先に、深い疲れが押し寄せた。
やがて離婚の話は具体的に進み、家の売却や財産分与の手続きも始まった。
私は女性弁護士に相談し、自分の相続財産を守る準備を進めた。
一方で夫は相変わらずだった。
離婚を望んだ本人なのに、朝のコーヒーも食事も、今まで通り出てくるものだと思っている。
冷蔵庫の鍋一つ温めることさえ面倒そうにしていた。
そんな日々の中で、私を支えてくれたのは娘の弓と孫の美優だった。
土曜日になると美優が遊びに来る。
一緒に卵焼きを作り、絵本を読み、プリンを食べる。
「おばあちゃんの卵焼きが一番好き」
その言葉に何度も救われた。
そして年が明け、私は小さなワンルームマンションへ引っ越した。
三十六年暮らした家を離れる時は寂しかった。
けれど不思議と後悔はなかった。
新しい部屋は狭かったが、自分だけの空間だった。
誰かのためではなく、自分のために時間を使える。
その自由は、思っていた以上に心地良かった。
そんな頃から、夫から頻繁に連絡が来るようになった。
施設の書類が分からない。
食事が続かない。
洗濯ができない。
部屋が片付かない。
今まで私が当たり前のようにやっていたことに、一つずつ困り始めたのだ。
ある日、喫茶店で久しぶりに会った夫は別人のようにやつれていた。
「自由になりたかったんだ」
夫は小さな声で言った。
「でも思っていたのと違った」
私は静かに答えた。
「自由には、生活がついてきますから」
夫は何も言えなかった。
自由とは誰かが支えてくれることではない。
自分の生活を自分で引き受けることだ。
そのことを、夫はようやく知ったのだろう。
春になった。
図書館の前の桜が満開になった。
私は相変わらず図書館で働き、土曜日には美優と過ごしていた。
ある日、美優が言った。
「おばあちゃん、最近よく笑うね」
私は少し驚いた。
でも、その言葉を聞いた瞬間、自分でも気づいた。
確かに私は笑っていた。
離婚した時は人生が終わると思った。
三十六年間が無駄になったような気もした。
けれど違った。
誰かのために生きてきた時間は決して無駄ではない。
その上で、これからは自分のために生きてもいい。
そう思えるようになっていた。
桜の花びらが舞う帰り道。
私は美優と手をつなぎながら空を見上げた。
どこまでも青い春の空だった。
あの日、「自由になりたい」と言った夫。
けれど本当に自由になったのは、最後まで誰かを支え続けた私の方だったのかもしれない。