先月、私は東京行きの新幹線に乗っていた。指定席に座り、ノートパソコンを開いて仕事をしていると、斜め前に座っていた若い女性の様子が気になった。
彼女は何度も切符と座席番号を見比べ、不安そうに周囲を見回している。その視線の先には、彼女の席らしき場所に堂々と座る中年の男がいた。
女性は小さく息を吸い込み、勇気を振り絞るように男へ声をかけた。「失礼ですが、席をお間違えではありませんか?」
男は面倒くさそうに顔を上げると、ふてぶてしい態度で言った。「は?自由席が満席だからこっち来たんだけど」
女性は切符を両手で持ちながら、丁寧に説明する。「ですが、こちらは私が購入した指定席ですので……」
すると男は急に顔をしかめ、乱暴な口調で吐き捨てた。「うるせーんだよ。若いなら立ってろ」
さらに男はニヤつきながら続ける。「それとも俺の膝に乗るか?」
その瞬間、車内の空気が凍りついた。周囲の乗客たちも視線を向けたまま黙り込む。
しかし女性は怯えなかった。
彼女は背筋を伸ばし、男をまっすぐ見つめながら静かな声で言った。
「わかりました」
一度言葉を切り、切符を軽く掲げる。「私はこの席の料金を支払い、座席を利用する権利を持っています」
そして女性は淡々と続けた。「あなたが不法に占拠するのであれば、私は窃盗として訴えます。それでもよろしいですか?」
その言葉を聞いた瞬間、男の表情が変わった。さっきまで威圧的だった態度が一気に崩れ、口を閉ざす。
そこへタイミングよく車掌がやって来た。男は舌打ちをしながら立ち上がり、ぶつぶつ文句を言いながら別の車両へ去っていった。
女性は深く頭を下げる。「お騒がせして申し訳ありませんでした」
周囲の乗客たちは安堵したように息を吐いた。隣に座っていたおばあさんが感心したように笑う。
「あなた、法学部の学生さんなの?」
女性は少し照れたように笑った。「いえ、違います。ただ、あまりにも腹が立ったので、知ってる法律用語を使っただけです」
その返答に、車内には小さな笑いが広がった。
やがて新幹線は東京へ向けて走り続ける。乗客たちは彼女に向かって「就活頑張ってね」と声をかけていた。
彼女はそのたびに頭を下げ、少し恥ずかしそうに笑っていた。
私は窓の外を流れる景色を見ながら思った。無礼な相手に感情的になるのではなく、冷静に言葉で立ち向かう強さ。
あの日、新幹線の車内で一番堂々としていたのは、間違いなくあの若い女性だった。