亡くなった妻の双子の姉、皐月と再婚したのは、娘のためだった。
そう自分に言い聞かせていた。
未来には母親が必要だし、皐月なら安心できる。
義父の言葉にも、どこか納得していた。
「亡くなったあの子も、きっと望んでいるはずだ」
その言葉を、疑う余裕はなかった。
だが――その夜。
すべてが揺らいだ。
初めて二人きりになった夜。
皐月はどこか緊張した様子で、それでも優しく笑っていた。
俺はその手を取り、少しずつ距離を詰めた。
唇が触れそうになった、その瞬間。
彼女はふっと手を引いた。
「ごめん、先にお風呂入るね」
その声は柔らかくて、どこか懐かしかった。
バスルームに向かう背中を、何気なく見送った。
そのときだった。
視界に入ったものに、心臓が止まりかけた。
背中の傷。
細く、でもはっきりと残るその痕。
――見覚えがある。
忘れるはずがない。
あれは、昔。
俺が子どもの頃。
道路に飛び出した俺を、誰かが庇って――
そのとき、背中に大きな傷を負った少女がいた。
あの子の傷と、まったく同じだった。
一瞬で、過去が蘇った。
でも、ありえない。
皐月じゃない。
あの子は、別人のはずだ。
その日は、何も言えなかった。
ただ頭の中で、何度も同じことが繰り返されていた。
――おかしい。
翌朝。
皐月はいつも通りに振る舞っていた。
キッチンに立ち、朝食を用意している。
未来と自然に会話をして、笑っている。
何も変わらない。
でも、違う。
俺の中では、すべてが変わっていた。
その日から、俺は意識して彼女を観察するようになった。
何気ない仕草。
言葉の選び方。
そして――記憶。
「この前の店、好きだったよね」
そう言われたとき、背筋が凍った。
その店は、俺と亡くなった妻しか知らない場所だった。
皐月は、一度も行ったことがないはずだ。
「なんで知ってる?」
思わず聞いた。
一瞬だけ、彼女の表情が止まった。
「……なんとなく」
笑ってごまかした。
でも、その“間”は見逃せなかった。
確信に変わり始めていた。
そしてある夜。
俺は、直接聞いた。
「昔、怪我したことあるよな」
皐月は動きを止めた。
「……何のこと?」
「背中の傷」
沈黙。
空気が一気に重くなる。
「俺を庇った子と、同じ傷だ」
その言葉で、彼女の顔色が変わった。
しばらく何も言わなかった。
逃げることも、否定することもなく。
ただ、静かに立っていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、気づくよね」
その瞬間、すべてが崩れた。
「どういう意味だよ」
声が低くなる。
彼女はゆっくり顔を上げた。
「私は、皐月だよ」
「でも……」
言葉を選ぶように続けた。
「あなたが知ってる“皐月”じゃないかもしれない」
頭が追いつかなかった。
理解したくなかった。
「何言ってるんだ」
「双子だからね」
その一言で、すべてが繋がった。
顔が同じ理由。
似ている理由。
でも、それだけじゃない。
記憶まで重なっている理由。
「昔のこと……ずっと聞いてた」
「あなたのことも、全部」
「だから、知ってるの」
俺は言葉を失った。
それは、再現だった。
亡くなった妻の代わりを演じるような存在。
でも、それだけじゃない。
もっと深い何かが混ざっていた。
「どうして……」
やっと絞り出した。
彼女は静かに答えた。
「好きだったから」
その一言で、胸が締め付けられた。
初恋の少女。
亡くなった妻。
目の前の女性。
全部が重なっていた。
俺はその場に立ち尽くした。
何が正しいのか、分からなかった。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
もう、元には戻れない。
その夜、俺は初めて思った。
「俺は……誰を選ぶんだ?」