新幹線の車内は、出張帰りの客でほどよく混み合っていた。
私は窓側の席で静かに本を読んでいたが、通路を挟んだ向こう側の男性会社員の声が、ずっと耳に刺さっていた。
「だからさ、それは部長に言っとけって!俺が戻ったら全部決めるから!」
周囲が何度も視線を向けても、男性は気づく様子もなく、大声で電話を続けていた。
その時、斜め前に座っていた初老の男性が、ゆっくりと立ち上がった。
「黙れ。向こうで話せ」
低く、しかしよく通る声だった。
会社員は電話を切るどころか、眉を吊り上げて言い返した。
「は?お前、何様だよ」
車内の空気が一瞬で張りつめた。
初老の男性は表情を変えず、胸ポケットから名刺入れを取り出した。そして一枚の名刺を、静かに会社員の前へ差し出した。
「私は、君の会社の親会社で監査役をしている者だ」
会社員の顔色が、みるみる青ざめた。
その名刺には、彼の会社名の上にある巨大企業グループの名前が印字されていた。しかも男性が電話口で得意げに話していた取引先の名前も、先ほどはっきり出していたのだ。
初老の男性は続けた。
「公共の場で機密に近い話を大声でする社員がいる会社か。よく覚えておく」
会社員は震える手でスマホをしまい、何度も頭を下げた。
次の駅まで、彼は一言も発しなかった。
静かになった車内で、初老の男性は何事もなかったように席へ戻った。叱ったのは、ただの迷惑行為ではない。社会人として越えてはいけない一線だったのだ。