私は仕事が終わると、コンビニで夕食を買い、自宅へ帰るだけの生活を送っていた。
誰かを部屋へ招くこともなく、静かな毎日だった。
だから玄関の貼り紙を見た時も、
「人違いじゃないの?」
そう思っていた。
ところが部屋へ入った瞬間、あることが頭をよぎった。
最近、私はアプリで知り合った人と毎晩通話していたのだ。
最初は数分だけだった。
「今日もお疲れさま」
「明日も仕事?」
そんな何気ない会話だった。
でも気が合った。
気付けば毎日通話するようになり、最後はそのまま寝落ちするのが日課になっていた。
スマホを枕元に置き、通話をつないだまま眠る。
朝起きると通話時間が五時間を超えていることも珍しくなかった。
それでも私は気にしていなかった。
小声だし、一人だし、壁の向こうまで聞こえるはずがない。
そう思い込んでいたからだ。
その夜、私は通話相手に貼り紙のことを話した。
すると相手は少し沈黙したあと、苦笑しながら言った。
「正直に言うと、たまに声大きいよ。
」
私は耳を疑った。
さらに聞くと、眠くなった私は急に笑い出したり、同じ話を何度も繰り返したりしていたらしい。
しかも寝落ち寸前になると、自分では気付かないほど声が大きくなっていたという。
私は信じられなかった。
そこで確認することにした。
録音をオンにし、いつもの音量で話してから部屋を出た。
そして玄関の前で耳を澄ませた。
すると――
聞こえた。
普通に聞こえた。
内容まではわからない。
でも誰かがずっと話していることははっきりわかる。
笑い声はさらに響いていた。
私はその場で頭を抱えた。
犯人は私だった。
友達を呼んでいないから大丈夫。
そう思い込んでいただけだった。
実際には毎晩、スマホ越しに長時間通話を続け、隣人へ強制的に聞かせていたのである。
翌朝、私はすぐに謝罪のメモを書いた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。今後は深夜の通話を控え、イヤホンを使用いたします。」
そしてその日から寝落ち通話をやめた。
通話は短時間。
イヤホン使用。
眠くなったら終了。
当たり前のことを、ようやく実践したのだ。
数日後、玄関の貼り紙はなくなっていた。
廊下は静かだった。
私は少し安心した。
そして思った。
まさか一人暮らしの私が、「毎晩の話し声」で苦情を受けるとは。
誰も部屋へ呼んでいなかった。
でも私の声だけは、毎晩隣の部屋へお邪魔していたらしい。
恋の始まりはアプリだった。
けれど現実の壁は、私が思っていたよりずっと薄かったのである。