その歩道橋は、駅近くでは有名な撮影スポットだった。
見晴らしが良く、線路全体が綺麗に見える。
列車が来る日には、撮り鉄が集まることもある。
私はたまたま通りかかっただけだった。
そこで見つけたのが、あの紙だった。
「場所取り 鉄1名」
しかも「和動禁止」。
たぶん「移動禁止」と書きたかったのだろう。
私は思わず吹き出した。
いやいや。
何をそんな当然みたいに貼ってるんだ。
ここ、誰でも通れる公共の歩道橋だぞ。
しかも紙は、簡単に剥がれないようガッチリ固定されていた。
まるで本当に“予約席”みたいに。
私はスマホで写真を撮った。
そして、そのまま紙を剥がした。
理由は単純だった。
公共の場所に勝手な張り紙をする方がおかしい。
私は紙を丸めてポケットに入れ、その場を離れようとした。
その時だった。
「ちょっと!!」
背後から怒鳴り声。
振り向くと、大きなカメラバッグを背負った男が立っていた。
首から高そうなカメラ。
肩には三脚。
典型的な撮り鉄スタイルだった。
男は私の手元を見て、顔色を変えた。
「それ、俺の紙なんだけど」
私は落ち着いて答えた。
「いや、公共の場所なんで」
男は一瞬黙った。
だが次の瞬間、声を荒げた。
「場所取りしてたんだよ!!」
「勝手に剥がすなよ!!」
私は少し笑ってしまった。
「場所取り?」
「ここ歩道橋ですよ?」
男はさらにイライラしながら言った。
「だから先に貼ったんだよ!」
「ルールだろ!!」
私は首を傾げた。
「誰のルールですか?」
その瞬間だった。
周囲の空気が変わった。
通行人たちが足を止め、こちらを見始めた。
男は周りの視線を気にしながらも言い返す。
「撮り鉄の常識だよ!!」
私は即答した。
「いや、世間の非常識です」
後ろで誰かが吹き出した。
別の人もクスクス笑っている。
男の顔がみるみる赤くなる。
「お前、撮り鉄だろ?」
男が睨みながら言った。
私は答えた。
「そうですけど?」
「だから余計に剥がしたんですよ」
その瞬間、男が固まった。
私は静かに続けた。
「こういうことする人がいるから、撮り鉄全体が嫌われるんです」
空気が、一気にこちら側に傾いた。
後ろにいたサラリーマンが小さく言った。
「それな」
別の女性も頷いていた。
「公共の場所なのにね」
男は完全に孤立した。
それでも最後の抵抗みたいに言った。
「でも今日ここ撮影ポイントなんだよ!!」
私は橋の上を見渡した。
正直、スペースはいくらでもあった。
だから普通に答えた。
「別に空いてますよ?」
男は何も言えなかった。
数秒沈黙したあと、小さな声で呟いた。
「……じゃあどこで撮ればいいんだよ」
私は答えた。
「普通に来た順で撮ればいいだけです」
その言葉で、完全に勝負は終わった。
男はしばらく立ち尽くしたあと、無言で三脚を持ち直し、橋の端へ歩いていった。
さっきまでの勢いは、もうなかった。
通り過ぎる時、後ろから小さく声が聞こえた。
「ナイス」
私は軽く会釈して、その場を離れた。
歩きながら思った。
撮り鉄の問題って、カメラでも列車でもない。
一部の人間の“俺ルール”なんだ。
そして、それを周囲が黙認し続けること。
でも今日は違った。
たった一枚の紙を剥がしただけ。
それだけで、橋の上の空気は少しだけまともになった。