指定席の車内は、週末ということもあり混雑していた。私は事前に予約した席に座り、ようやく落ち着けると思った矢先だった。
目の前に立った中年男性が、子どもを連れたまま強い口調で言い放った。
「ここ指定席なんですが」
私が切符を見せながら静かに伝えると、男性は眉をひそめたまま一歩も引かない。
「こっちは子供連れなんだ。譲れよ」
その声に周囲の視線が集まり、車内の空気が一気に重くなった。子どもは不安そうに周囲を見回し、私はどう対応すべきか迷いながらも席を立てずにいた。
言い争いが続きそうになったそのとき、後方からゆっくりと歩いてくる人影があった。
「お嬢ちゃん、その席、ちょっと交換してあげようか」
低く落ち着いた声。現れたのは、年配の男性だった。どこか普通ではない雰囲気を漂わせ、しかしその目は妙に鋭い。
彼は私に軽く頷くと、子連れの男性の方へ視線を向けた。
「指定席を無理に奪うのは、あまり感心しないな」
静かな一言なのに、車内の空気がさらに張り詰める。
子連れの男性は一瞬たじろいだが、それでも何か言おうとした。しかし次の瞬間、その“そっち系のおじさん”は静かにスマホを取り出し、駅係員らしき番号を表示させた。
「ここ、車掌呼ぶぞ。ルールは守るもんだ」
その一言で、空気が完全に変わった。
結局、車内に呼ばれた乗務員が状況を確認し、男性と子どもは別の空席へ案内されることになった。
去り際、年配の男性は私にだけ小さく言った。
「困ったら、ちゃんと声出せ。世の中、黙ってると損するからな」
少し怖いのに、なぜか妙に安心する存在だった。私はその背中を見送りながら、指定席に座る手をそっと握り直した。