もともとは、駅前のレストランで軽く飲む予定だった。
「仕事の相談でもしよう」
そんな流れで決まった、ごく普通の食事。
私は特に警戒もしていなかった。
相手は会社の先輩だったし、普段から軽口は多いけど、仕事ではそれなりに信頼されている人だったからだ。
待ち合わせの1時間前までは。
突然、先輩からLINEが届いた。
「今夜ちょっと場所変更していいかな?」
ここまでは普通だった。
でも続けて送られてきた言葉を見て、私は固まった。
「一番高い部屋取ったからさ」
……部屋?
意味が理解できず、画面を見返した。
するとさらにメッセージが届く。
「女の子って普段来れない場所で飲むの嬉しいでしょ?」
「ゆっくり出来るしホテルの方がいいと思って」
ホテル。
しかも“気遣い”みたいな言い方。
私は一気に違和感を覚えた。
仕事の先輩と二人。
待ち合わせ直前。
突然ホテル変更。
どう考えても普通じゃない。
私はすぐ返信した。
「ホテルですか?」
すると先輩は軽いテンションのまま返してきた。
「そうそう」
「部屋飲みの方が落ち着くじゃん」
いや、落ち着かない。
むしろ怖い。
でも厄介なのは、
相手が“先輩”という立場だったことだ。
ここで強く断れば、
職場で気まずくなるかもしれない。
だから向こうも、
私が空気を読んで従うと思っている。
そう感じた。
私は短く返した。
「ホテルは無理です。」
すると数秒で既読。
すぐ返信が来た。
「え?」
「ドタキャンは流石に勘弁してよ」
思わずスマホを見つめた。
ドタキャン?
待ち合わせ場所をホテルに変えたのはそっちだ。
さらに追撃のようにメッセージが来る。
「忙しい中時間作ってるんだからさ」
「そういうの常識ないと思うよ」
完全に話をすり替えられていた。
断った私が悪い流れにされている。
たぶん、ここで多くの人は謝ってしまう。
「すみません」
「申し訳ないですけど」
空気を壊したくなくて。
でも私は途中で気づいた。
いや、待って。
私、何も悪くない。
だから私は、謝らなかった。
「今日は女子会に変更するのでキャンセルで。
」
それだけ送った。
数秒後。
「は?」
短い返信。
でもそれ以降、
先輩からは何も来なかった。
私は違和感が消えず、
そのLINEをスクショして女友達のグループチャットに貼った。
「この人知ってる人いる?」
するとすぐに既読が増えた。
そして数分後、
一人の子がスクショを貼った。
そこには、ほぼ同じ文章。
「女の子って普段来れない場所で飲むの嬉しいでしょ?」
鳥肌が立った。
さらに別の女性も言った。
「私もこの人にホテル誘われた」
チャットが一気にざわつく。
「え、私も」
「文章コピペじゃん」
そして決定的な一言が投下された。
「しかも今日19時指定だった」
私はスマホを握ったまま固まった。
私との待ち合わせも19時。
つまり先輩は、
同じ時間に複数の女性をホテルへ呼んでいた。
誰か一人でも来ればいい。
そういう雑な誘い方だった。
その瞬間、
怖さより先に呆れが来た。
私は最後に一通だけ送った。
「あなたのメッセージ、共有しました。」
既読。
でも返信は来なかった。
翌日、会社で先輩を見かけた。
いつもなら軽口を叩いてくる人だった。
でもその日は、
一度も目を合わせなかった。
私はその背中を見ながら思った。
世の中には、
“断りにくい空気”を作って、
相手を従わせようとする人がいる。
そして断られると、
今度は被害者ぶる。
でもそんな時、
無理に優しく断らなくていい。
謝らなくてもいい。
私はただ、
「キャンセルで。」
そう言っただけだった。