その日は、小学校の授業参観だった。
教室には保護者が並び、
子どもたちは少し緊張した顔で発表をしていた。
「次、〇〇くんお願いします」
先生の声に、
子どもたちが元気よく返事をする。
どこにでもある、
普通の午後だった。
私は後ろの方で、
娘の発表をスマホに撮っていた。
すると、
教室の左側にいた女性が、
急にお腹を押さえた。
「あっ……」
小さな声だった。
でも次の瞬間、
その女性は椅子から崩れるようにしゃがみ込んだ。
周囲がざわつく。
近くの母親が叫んだ。
「ちょっと待って、破水してる!!」
床には水が広がっていた。
一瞬で空気が変わった。
担任の先生がすぐに動いた。
「男性の保護者の方、一度廊下へお願いします!
子どもたちは別教室へ移動!」
教室中が混乱した。
泣き出す子。
慌てる母親。
保健の先生が走って来る。
「救急車は!?」
「今呼んでます!」
でも、
妊婦の女性は苦しそうに首を振った。
「もう……無理……
来る……っ」
その言葉に、
保健の先生の顔色が変わった。
「間に合わないかもしれない」
そこから、
教室は完全に“出産現場”になった。
女性教師たちがカーテンのように周囲を囲む。
机を端へ寄せる。
タオルを集める。
誰もが必死だった。
外では、
子どもたちの不安そうな声が聞こえていた。
私は廊下にいた。
でも、
教室の空気が異常なほど張り詰めているのが分かった。
妊婦の女性の叫び声。
先生たちの声。
「大丈夫です!
呼吸してください!」
そして――
数分後。
オギャアアアア!!
赤ちゃんの泣き声が、
教室いっぱいに響いた。
その瞬間、
廊下にいた保護者たちから、
一気に安堵の空気が漏れた。
「よかった……」
誰かが泣いていた。
私も気づけば、
胸を押さえていた。
女性教師が、
小さな赤ちゃんを抱き上げる。
「元気ですよ!」
その時だった。
赤ちゃんを見ていた女性教師の表情が、
突然止まった。
笑顔が消えた。
そして、
ゆっくり呟いた。
「……何これ……」
教室が静まり返る。
保健の先生が近づいた。
次の瞬間、
その先生も固まった。
赤ちゃんの右手。
その小さな手首に、
細い紐のようなものが絡んでいた。
まるで、
切れたミサンガみたいだった。
しかも、
結び目まである。
誰かが震える声で言った。
「最初から付いてたの……?」
すると、
出産した女性が、
苦しそうに体を起こした。
そして、
その紐を見た瞬間、
顔色が変わった。
「え……」
女性の目から、
一気に涙が溢れた。
震える声で、
彼女は言った。
「それ……
夫のお守りです……」
誰も動かなかった。
女性は泣きながら続けた。
「出産前に……
“絶対守るから”って……
夫が結んでくれたんです……」
教室が静まり返る。
「でも……
夫は半年前に事故で亡くなって……」
誰かが小さく息を呑んだ。
女性は涙を流しながら、
赤ちゃんを見つめた。
「あの日……
切れて無くなったはずなのに……」
赤ちゃんは、
何も知らないまま、
力いっぱい泣いていた。
その小さな手には、
確かに古びた紐が絡んでいた。
偶然だったのかもしれない。
誰かがどこかで巻き込んだだけかもしれない。
本当のことは、
今でも分からない。
でも、
あの日あの教室にいた全員が、
同じことを思った。
――お父さん、
ちゃんと来てたんだなって。