「これでやっと終わったんだ……」
祖父の介護が終わった日の夜、私はそう呟いた。
家族も同じように言った。
「本当に長かったね」と。
でもその言葉の裏にあった“重さ”に、その時はまだ気づいていなかった。
私が祖父の介護を始めたのは、中学を卒業した頃だった。
両親は共働きで忙しく、姉と弟は受験と進学で手が離れていた。
家族会議で決まったのは、「成績が普通だった私が介護を担当する」ということだった。
反対する余地はなかった。
祖父は穏やかな人だった。
基本的には優しく、理不尽なことを言うこともほとんどなかった。
ただ時々、どうしようもなく不安定な表情を見せることがあった。
動けない自分への苛立ちなのか、家族に負担をかけている罪悪感なのか、今でも分からない。
年に数回だけ、感情が爆発して怒鳴られることもあった。
それでも日常は続いた。
食事、入浴、排泄の介助。
デイケアの送り迎え。
夜中の対応。
気づけば、自分の生活は祖父中心に回っていた。
時間が経つにつれ、私は外の世界から少しずつ離れていった。
友達と遊ぶことも減り、勉強も手につかなくなり、
ただ“今日を回すこと”だけで精一杯になっていった。
17年。
その時間は長いようで、振り返るとあっという間でもあった。
そして祖父は亡くなった。
悲しみがなかったわけではない。
でも涙より先に出てきたのは、安堵だった。
「やっと終わったんだ」
その言葉が、最初に浮かんだ。
もう呼ばれない。
もう夜中に起きなくていい。
もう介護のスケジュールに縛られない。
それが一番大きかった。
祖父の一周忌が終わる頃には、現実が静かに戻ってきていた。
“これから自由になる”はずだった。
しかし、何をすればいいのか分からなかった。
化粧の仕方も、服の選び方も分からない。
外に出ても、目的がない。
気づけば家にいる時間が増えていた。
働こうとしても、現実は厳しかった。
「高卒資格が必要です」
そう言われて何もできず帰る日が続いた。
家族の反応も変わっていった。
「今まで何してたの?」
「なんで勉強しなかったの?」
その言葉は、想像以上に刺さった。
限界になった私は、姉に電話をした。
泣きながら、うまく言葉にならないまま助けを求めた。
すると姉は短く言った。
「今から行く」
その後、本当に姉と弟が来た。
姉の家に連れて行かれ、そこで初めてちゃんと話をした。
弟は泣きながら謝った。
姉は「もう大丈夫」とだけ言った。
私は初めて、“自分のことを考えてくれる人”がいると知った。
そこから通信制高校に通うことになった。
最初は何も分からなかった。
でも姉と弟が支えてくれた。
少しずつ勉強をし、少しずつ外に出られるようになった。
友達もできた。
そして今、私はドラッグストアで働いている。
先月、正社員登用試験に合格した。
報告したとき、姉も弟も泣いて喜んでくれた。
17年間、止まっていた時間は確かにあった。
でも今は違う。
遅かったとしても、遠回りだったとしても、
ようやく“自分の人生”が始まっている。