担任に呼ばれ、私は娘と一緒に学校へ来ていた。面談の予定があり、廊下で次の呼び出しを待ちながら、娘と軽く今日の出来事について話していた。落ち着いた空気の中で、特に問題が起きるような状況ではなかった。
しかしそのとき、音楽教師が突然現れた。
「ちょっと来なさい」
そう言われたのは、私ではなく娘だった。私は一瞬状況が理解できず見送る形になったが、次の瞬間、その教師は娘を廊下の端へ呼びつけ、いきなり説教を始めた。
内容は些細な授業態度のことのようだったが、その口調は必要以上に強く、周囲の目も気にしない一方的なものだった。
私は思わず声をかけた。
「娘が何か?」
すると教師は私の方を見て、苛立ったように言い放った。
「自分で物も言えないのかって言ってるんです!」
その言葉に、私は一瞬理解が追いつかなかった。
「は?」
思わず漏れたその一言に対し、さらに教師は畳みかけるように同じ主張を繰り返した。あくまで“本人に言わせるべきだ”という理屈らしかった。
しかし、娘はまだ状況を説明する前であり、突然の叱責に戸惑っているだけだった。
私は静かに一歩前に出て、状況の説明を求めた。担任が間に入り、その場は一度止められた。
その後、学校側から改めて事情確認が行われることになり、問題の対応についても見直しが入った。教師の一方的な指導方法については正式に指摘され、娘への対応も改められることになった。
廊下に残った静けさの中で、私は強く思った。指導とは“声の大きさ”ではなく、“順序と配慮”で成り立つものなのだと。