臨月に入った妻は、相変わらず何でも一人でこなしていた。
朝は俺より早く起きて弁当を作り、洗濯物を干し、掃除まで済ませていた。
大きなお腹を抱えて動く姿を見ても、俺は深く考えなかった。
「無理するなよ」と口では言ったが、妻が「大丈夫」と笑うたびに、その言葉をそのまま信じていた。
むしろ、家事も毎日完璧にこなす妻を見て、素敵な嫁だな、なんて呑気に思っていた。
ある日の昼、会社に病院から電話が入った。
「奥様が倒れました。すぐ来られますか」
頭が真っ白になった。
病院へ駆け込むと、妻はベッドで点滴を受けていた。
顔色は悪く、唇も乾いていた。
医師は静かな声で俺に言った。
「かなり疲労がたまっています。貧血もあります。臨月の体で、毎日ここまで無理を続けるのは危険です」
俺は言葉を失った。
妻は俺に心配をかけまいとして、ずっと平気な顔をしていたのだ。
さらに看護師さんが続けた。
「奥様は『夫は仕事で忙しいから頼れない』と話していました」
その一言が胸に刺さった。
頼ってくれなかったのではない。
頼れる夫だと、俺が思わせていなかったのだ。
ベッドの横に座ると、妻は申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。ちゃんとやらなきゃって思って」
俺はその手を握り、初めて自分の情けなさを知った。
「謝るのは俺の方だ。君が大丈夫って言った時、本当に大丈夫か確かめなかった」
その日から俺は、家事を“手伝う”という考えをやめた。
洗濯も食事も掃除も、二人の生活のこととして自分で動くようにした。
退院後、妻は少しずつ俺に頼るようになった。
完璧な妻でいる必要なんてなかった。
俺が守るべきだったのは、きれいな部屋ではなく、妻とこれから生まれてくる命だった。