昭和52年3月15日未明、福岡県の大学病院で夜勤を終えた26歳の看護師、山口美智子さんは、いつものように病院前のタクシーに乗り込んだ。自宅まではわずか10キロ。家では両親が、夜勤明けの娘の帰りを待っていた。
しかし、その夜、美智子さんは帰ってこなかった。
病院に確認すると、午前2時ごろ退勤し、タクシーに乗ったことまでは分かった。警察は病院周辺のタクシー会社や個人タクシーを調べたが、深夜の街に防犯カメラはほとんどなく、車両の特定は難航した。家族は毎日電話の前で待ち続けたが、娘からの連絡は一度もなかった。
その後も、福岡では深夜にタクシーへ乗った女性が姿を消す事件が相次いだ。飲食店員、デパート店員、事務員。被害者はいずれも夜遅くまで働き、一人で帰宅する途中だった。警察は同一犯の可能性を疑ったが、決定的な証拠をつかめないまま、7年が過ぎていった。
昭和59年2月、福岡警察署に一人の男が現れる。45歳の個人タクシー運転手、田中誠だった。
彼は取調室で震える声で告げた。
「私がやりました」
その告白によって、7年間闇に沈んでいた事件が一気に動き出す。田中は、美智子さんを最初の被害者として、深夜のタクシーで女性たちを狙った犯行を語り始めた。示された場所からは、行方不明になっていた女性たちの遺体が次々と発見された。
信じて乗ったタクシーの中で何が起きていたのか。美智子さんの帰りを待ち続けた両親にとって、7年越しに届いた真実は、あまりにも残酷なものだった。