「母親ヅラ、キモいんだよ。」
その言葉と同時に、夫の連れ子・淳はトイレの棚に置いてあった私の使い捨てカテーテルを束ごと掴み、ハサミで容赦なく切り刻んだ。
私は高校時代の事故で脊髄を損傷し、自己導尿がなければ排尿できない体だ。放置すれば感染症を起こし、命に関わることもある。そんなことを知っているはずの淳は、旅行前の苛立ちをぶつけるようにそれを壊した。
「父さん帰ってくるの一週間後だろ?それまで我慢すれば?」
そう言い残し、彼は二十万円を持って家を出て行った。
私は震える手で夫・守に電話した。出張先の彼はしばらく沈黙したあと、低い声で言った。
「分かった。あとは俺に任せてくれ。」
七日後。旅行から戻った淳は玄関で足を止めた。
「……なんだ、この臭い。」
家中に異様な悪臭が漂っていた。
そこへ夫が現れ、息子の肩を掴んで壁に押しつけた。
「なおは……もう帰ってこない。」
涙を流しながら、夫は続けた。
「お前がカテーテルを切ったせいで尿が出せず、感染が広がった。敗血症だ。」
淳の顔は一瞬で青ざめた。
「うそだろ……俺、そんなつもりじゃ……」
その時、廊下の奥から笑い声が響いた。
ドアを開け、私は車椅子で姿を現した。
「人はね、きちんと治療すれば死なないの。二週間で治る病気を、七日で命を落とすなんておかしいと思わなかった?」
淳は呆然と立ち尽くした。
家の悪臭の正体は、古いトイレの床下から漏れていた排水の匂いだった。本来は修理する予定で、その費用が二十万円だったのだ。
「返してね。あなたが持っていったお金、工事代なの。」
「……もう使った。」
その言葉に、夫の表情が変わった。
「謝れ。」
淳は初めて私に頭を下げた。だがそれで終わりではなかった。
「家族だからって何をしてもいいわけじゃない。今日から仕送りはなし。学費も生活費も自分で稼げ。」
淳は家の外へ追い出された。インターホンを鳴らし続けたが、私たちは出なかった。
その後、彼は三つのアルバイトを掛け持ちし、学費を借金でまかなうことになった。総額百二十三万円。返済は卒業後からだ。
夫は言った。
「本気で痛い目を見ないと分からないこともある。」
今、淳は就職活動とアルバイトに追われながらも、少しずつ変わり始めている。電話口の声は以前よりずっと柔らかい。
私は今日も自分の体と向き合いながら働いている。
あの日、切り刻まれたカテーテルよりも――
もっと大切なものを守れたと思っている。
家族とは、甘え合うものではない。
思いやりを学ぶ場所なのだ。