北アルプスでの大量遭難。雪山で誤った判断をした13人の大学生の悲惨すぎる結末「薬師岳遭難事故」
2026/05/31

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1962年、愛知大学山岳部の13名は、年末年始を利用して北アルプス・薬師岳への冬山登山を計画した。折立にベースキャンプを置き、太郎平小屋、薬師平へとキャンプを進め、最終的に山頂を目指す「局地法」で挑む予定だった。

しかし、出発前から計画には不安があった。本来20名で臨むはずが、就職関係などで上級生が減り、実際は1・2年生中心の若いパーティーとなった。それでも計画は変更されず、リーダー役も経験の浅い2年生たちが担うことになった。

入山後、序盤は順調だった。だが12月30日から天候が急変し、強風と大雪で太郎平小屋に停滞することになる。記録的な三八豪雪の中、彼らは焦りを抱えながら天候の回復を待った。

1月2日、ようやく吹雪が弱まると、彼らは第三キャンプを設営した。ここで本来なら一部メンバーのみが山頂を目指すはずだった。ところが、先行する日本歯科大学パーティーを見て焦り、13人全員で登頂を目指してしまう。

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多くの荷物を残し、地図やコンパスも携行しないまま進んだことが、後に致命的な判断となった。

山頂目前で天候は再び悪化する。視界を奪う猛吹雪の中、彼らは撤退を決めたが、すでに正しい進路を見失っていた。戻るべき第三キャンプにはたどり着けず、薬師岳東南尾根へと迷い込んでいく。

その後、彼らは下山予定日を過ぎても戻らなかった。大規模な捜索が行われたが、豪雪に阻まれ難航する。やがて春になり、遺体が次々と発見された。抱き合うように倒れていた者もいたという。

楽しい年越し登山のはずだった計画は、13人全員が帰らぬ人となる悲劇に変わった。経験不足、計画変更、装備の不備、そして「まだ行ける」という判断。その積み重ねが、若い命を雪山に飲み込ませたのである。

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