
あの瞬間、違和感が消えなかった。
初孫を抱いたばかりだった。
本来なら、ただ嬉しいだけのはずなのに、
なぜか胸の奥がざわついていた。
理由はすぐに分かった。
耳だった。
うちの家系は、全員ふっくらした耳たぶをしている。
私も、夫も、息子も。
でもその子だけ、明らかに違った。
「気のせいよね」
そう思おうとした。
赤ちゃんの顔はこれから変わるし、
まだ判断できる段階じゃない。
でも、その違和感は消えなかった。
そして決定的だったのは、そのあと。
息子が嬉しそうに母子手帳を持ってきた。
「ここ、初めて心拍確認できた日」
何気なく見た、そのページで手が止まった。
妊娠8週。
その瞬間、頭の中で計算した。
受精時期は——3月下旬。
でもその時期、息子は日本にいなかった。
シンガポール出張。
3月10日から4月10日まで。
空港まで見送ったのは、私たちだ。
つまり——
どう考えても、合わない。
その時、嫁が慌てて母子手帳を取り上げた。
「勝手に見ないでください」
声が震えていた。
その一瞬で、確信した。
ああ、これはもう偶然じゃない。
私は何も言わなかった。
その場で騒いでも意味がない。
静かに立ち上がって、夫にだけ言った。
「帰るわ」
外は大雨だった。
車の中、しばらく無言。
ワイパーの音だけが響いていた。
やがて夫が聞いた。
「どうしたんだ」
私は前を見たまま言った。
「日付、見なかった?」
「え?」
「妊娠8週なら、受精は3月下旬よ」
少し間があったあと、夫の顔色が変わった。
「……あいつ、その時日本にいなかったよな」
「いなかったわ」
それで全部つながった。
その後の動きは早かった。
私はSNSを遡り、
親しげな男性の存在を見つけた。
夫は知人を通じて調べた。
そして出てきたのは——
既婚男性との関係。
やり取りの記録。
もう言い逃れできない証拠だった。
翌日、息子を呼び出した。
最初は信じようとしなかった。
でも、出張の日程と日付を並べた瞬間、
顔から血の気が引いていった。
「……俺、少しおかしいと思ってた」
その一言で、すべて分かった。
信じたかっただけなんだと。
私は何も責めなかった。
ただ事実を見せただけ。
あの日、初孫を抱いた時の温もりは今でも覚えている。
でも同時に思った。
母親って、見てしまった真実からは逃げられない。
たとえ、それがすべてを壊すとしても。