姉が一歩、部屋の中に入った瞬間だった。
さっきまで腕を組んでいた面接官が、反射的に立ち上がった。
「……なぜあなたがここに」
さっきまでの余裕は、もうなかった。
姉は名刺を出すこともなく、静かに言った。
「私が身元保証人です」
その一言だけで十分だった。
でも、姉はそこで止まらなかった。
ゆっくりと机の上を見た。
破られた履歴書の切れ端。
それを見て、視線だけで状況を理解した。
そして、面接官に向き直った。
「履歴書を破るのが、御社の採用基準ですか?」
空気が一瞬で張り詰めた。
面接官は何か言おうとしたが、言葉が出てこない。
人事担当が横で青ざめているのが見えた。
姉は続けた。
「“施設育ちだから信用できない”とおっしゃったそうですね」
静かな声だった。
でも、その場にいた全員が聞き逃せない言い方だった。
面接官の顔色がさらに変わる。
「い、いや、それは……」
さっきまでの態度とは別人だった。
私はその様子を見ながら、初めて息を吐いた。
怒鳴ることもできた。
言い返すこともできた。
でも、その必要はなかった。
状況がすでに変わっていた。
姉は一歩だけ前に出て、淡々と言った。
「私の会社は御社と取引があります」
その一言で、面接官の視線が揺れた。
「人を属性で判断し、履歴書を破るような企業と、今後も関係を続けるべきかどうか」
そこで言葉を止めた。
続きを言わなくても、意味は十分に伝わった。
沈黙が落ちた。
誰も何も言えなかった。
私は机の上の履歴書の切れ端を拾った。
さっきまで感じていた悔しさは、もうなかった。
代わりに、妙に冷静だった。
私は軽く頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
面接官は何も返せなかった。
ただ、黙って立っているだけだった。
私はそのまま部屋を出た。
廊下に出た瞬間、やっと空気が変わった気がした。
さっきまで自分がいた場所が、まるで別の空間みたいだった。
姉が横で一言だけ言った。
「もういいでしょ」
私は頷いた。
正直、あの場で何かを勝ち取ったわけじゃない。
内定もないし、結果もない。
でも一つだけはっきりしたことがある。
あの会社に選ばれなくてよかった。
選ぶ側にいるつもりだった人間が、
何を基準に人を見ているのか。
それを知れただけで十分だった。
そして——
履歴書を破ったのはあの人だけど、
あの場で信用を失ったのは、間違いなくあの会社の方だった。