ある日、十歳年下の友人から久しぶりに電話がかかってきました。
「お願いがあるの。」
その声は切羽詰まっていました。
話を聞くと、一歳にもならない赤ちゃんを二日間預かってほしいと言うのです。
私は驚きました。
結婚してからはお互い別の県に住み、連絡を取るのは年賀状と半年に一度くらい。
そんな私に、なぜ二日間も赤ちゃんを預けようと思ったのでしょう。
理由を聞くと、
「実家も無理。」
「義実家も忙しい。」
「頼れる人が誰もいない。」
だから私しかいないと言います。
でも、私にも小学一年生を筆頭に三人の子どもがいます。
家の中は毎日戦場です。
一歳の赤ちゃんを二日間預かって、もし転んだり熱を出したりしたら責任は取れません。
私は申し訳ないと思いながら断りました。
ところが翌日も電話。
その翌日も電話。
「お願い。」
「本当にあなたしかいないの。」
毎日のように頼まれ続けました。
そしてある日、友人は泣きながらこう言ったのです。
「どうしても無理なら……コインロッカーに置いてでも行く。
」
私は背筋が凍りました。
「そこまでして行かなきゃいけない用事って何なの?」
すると友人はしばらく黙り込み、小さな声で答えました。
「同人誌の即売会……。」
思わず聞き返しました。
「え?」
「今年作った新刊を売るの。」
「今年しか意味がないの。」
「仲間はみんな参加するのに、私だけ諦めたくない。」
私は言葉を失いました。
趣味が悪いとは思いません。
好きなことを続けるのも素敵だと思います。
でも、一歳の赤ちゃんを他人に二日間預けようとしたり、コインロッカーという言葉まで出てくるほど優先することなのか、私には理解できませんでした。
数日後。
今度は友人のご主人から電話がありました。
「妻が頼れるのは、あなたしかいないんです。」
最初は丁寧でした。
でも話はどんどんおかしな方向へ進みます。
「妻は育児と創作を両立して、本当によく頑張っています。」
「だから今回だけ力を貸してください。」
私は提案しました。
「ベビーシッターさんや一時保育は利用できませんか?」
すると即答でした。
「妻は知らない人には預けたくないんです。」
私は思わず苦笑しました。
「知らない人には預けたくない。」
その子を、何年も会っていない私には預けられるのでしょうか。
さらに、ご主人は信じられないことを言いました。
「普通の主婦の方なら、妻のような立場を羨ましく思う気持ちは分かります。」
「でも、そこを何とか。」
その瞬間、私の中で何かが切れました。
私は静かに言いました。
「お断りします。」
「もし大切なお子さんを預けるなら、私ではなく、ご両親や専門の施設を頼ってください。」
「それができないなら、イベントを諦めるしかありません。」
そう伝えて電話を切りました。
その後もしばらく着信は続きましたが、私は出ませんでした。
当日は念のため家族で外出し、一日家を空けました。
結局、友人がイベントへ行けたのかどうかは分かりません。
それ以来、連絡も来なくなりました。
少し寂しい気持ちもあります。
でも、一つだけ確信しています。
本当に守るべきだったのは、締め切りでも即売会でもありません。
誰かに押しつけようとした、一歳になったばかりの我が子だったのではないでしょうか。