
イオンの駐車場でバックした瞬間、「ゴン」という鈍い音がした。
隣には黒のベンツSクラス。ナンバーは「8888」。頭が真っ白になった。
降りて確認すると、リアに明らかな擦り傷。私はその場で待ち、戻ってきた50代ほどの男性に頭を下げた。
「すみません、ぶつけてしまいました」
すると彼は傷を一瞥し、こう言った。
「これは前からあった傷ですよ。気にしなくていい」
連絡先も聞かず、そのまま去っていった。
私は拍子抜けすると同時に、「余裕のある人なんだ」と少し感動さえしていた。
だが三日後、ベンツの正規ディーラーから電話が来た。
修理見積もりは――38万円。
その夜、本人から電話があり、淡々と言われた。
「その場で揉めたくなかっただけですよ。でも修理は修理ですから」
その瞬間、理解した。
あれは優しさではなく、“その場を早く終わらせるための判断”だったのだ。
38万円は私にとって大金だ。
だが彼にとっては、手続きにかかる時間の方が惜しかったらしい。
そこで私はドラレコを確認した。
事故直後の「前からあった傷ですよ」「気にしなくていい」という会話が、はっきり音声で残っていた。
警察とディーラーに提出した結果、現場で事故を否認する発言があったため、全額請求は難しいと判断された。
最終的な過失割合は5対5。
私の支払いは当初の金額の一部で済んだ。
お金があるからといって、何でも通るわけではない。
声を荒げる必要もない。
事実と証拠を、淡々と積み上げるだけでいい。
あの日、「助かった」と思った自分に言いたい。
あれは優しさではなく、試されていただけだったのだ