正直、あの家にいる間ずっと息が詰まっていた。
家賃二十六万円のタワマン。
外から見れば、順風満帆な生活に見えると思う。
でも中身は違った。
義母と同居。
それだけで全部が変わった。
冷蔵庫の中身、洗濯のやり方、帰宅時間。
全部チェックされる。
少しでも気に入らないと、ため息か文句。
「そのやり方、おかしいわよ」
「もっとちゃんとできないの?」
最初は我慢していた。
夫に言えば何とかなると思っていたから。
でも返ってくるのは毎回同じだった。
「母さんも悪気はないから」
「うまくやってよ」
その“うまく”が、全部私に押し付けられていた。
気づけば、何も言えなくなっていた。
そんな生活が続いて、限界だったある日。
義母が突然、怒鳴った。
「出て行け!」
私は一瞬、言葉を失った。
さらに続けて——
「あんたがいなければ楽になるのよ!」
その言葉を聞いて、初めて思った。
ああ、この人は本気なんだって。
私は夫を見た。
助けてくれると思っていた。
でも違った。
夫はスマホを見たまま、こう言った。
「じゃあ離婚でいいよね」
そして、そのまま紙を差し出してきた。
離婚届。
一瞬だけ、時間が止まった。
でも次の瞬間、逆に冷静になった。
私はその紙を受け取った。
「分かった」
それだけ言って、その場で署名した。
夫は少し驚いた顔をしていた。
でももうどうでもよかった。
そのまま家を出た。
最低限の荷物だけ持って。
そして——
私名義で払っていたものを、全部止めた。
家賃。
光熱費。
サブスク。
全部。
理由は簡単。
もう関係ないから。
数日後、知らない番号から電話が来た。
夫だった。
「なんで家賃止まってるの?」
焦った声だった。
私は何も答えなかった。
続けて——
「管理会社から連絡来たんだけど…どうなってるの?」
その言葉を聞いて、少しだけ笑いそうになった。
今さら?って。
義母からも連絡が来た。
「すぐ戻ってきなさい!」
でも全部無視した。
説明する必要もなかった。
だって——
家賃二十六万円。
夫の手取りじゃ払えない。
だから私が出していた。
最初からずっと。
でも、それを知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。
私がいなくなって、初めて分かっただけ。
私は新しい部屋に引っ越した。
家賃七万円。
狭いけど、静かだった。
誰にも何も言われない。
それだけで十分だった。
しばらくして、また連絡が来た。
「戻ってきてほしい」
私は見たけど、返信しなかった。
反省じゃない。
ただ払えなくなっただけ。
それが分かっていたから。
私はスマホを閉じた。
一つだけ、はっきりしていることがある。
タワマンに住んでいたのは三人。
でも——
支えていたのは、一人だけだった。
そしてその一人は、もう戻らない。