正直、あの時点で違和感はあった。
父の退職金で家を建てる。
しかも妹夫婦主導で。
それ自体はいい。
問題は、その言い方だった。
「関わらないで」
その一言で、家族という関係が終わった。
私は何も言い返さなかった。
ただ、受け入れた。
その代わり、距離も全部切った。
遺産放棄の書類も同じだった。
普通なら揉める話だと思う。
でも私はサインした。
理由は簡単。
関わらないって決めたから。
それで終わりのはずだった。
——三ヶ月までは。
マンションの前にいた妹は、別人だった。
服は乱れて、顔もやつれていた。
あの時の強気はどこにもなかった。
「助けて」
その一言で、状況は全部見えた。
私は距離を保ったまま聞いた。
「どうしたの」
妹は途切れ途切れに話した。
家の建築費が予定より膨らんだこと。
ローンを組んだこと。
夫の収入が不安定になったこと。
父の体調が悪化したこと。
全部が重なって、回らなくなった。
「ローンが払えない」
その言葉で、すべてが確定した。
私は少しだけ間を置いて言った。
「遺産放棄の書類、覚えてる?」
妹の顔が固まった。
「私、サインしたよね」
妹は何も言えなかった。
私は続けた。
「関わらないって、あなたが決めた」
その一言で、空気が止まった。
妹はその場に崩れた。
泣きながら何度も謝っていた。
でも、私は動かなかった。
ここで感情で動いたら、全部戻る。
それだけは分かっていた。
私は静かに言った。
「助けてほしいなら、順番がある」
妹が顔を上げた。
「まず、父さんと母さんに謝ること」
「次に、ちゃんと現実を整理すること」
私は紙を一枚渡した。
弁護士とファイナンシャルプランナーの連絡先。
「これは感情の問題じゃない」
「数字の問題だから」
妹は何度も頷いた。
でも私は、それ以上何も言わなかった。
助けるかどうかは、その後の話。
まずは、自分で向き合うべきだった。
妹が去ったあと、静かになった。
私は窓の外を見た。
あの時、サインしたのは間違いじゃなかった。
あれは放棄じゃない。
線を引いただけ。
そしてその線を越えたのは、向こうだった。