「こんな飯、犬でも食わねぇよ!!」
昼休みの社員食堂に、
怒鳴り声が響き渡った。
その声を上げたのは、
営業部の部長・黒田だった。
周囲には課長たちもいて、
全員が笑っている。
テーブルに並んでいたのは、
焼き魚、
肉じゃが、
味噌汁。
どれも、
毎日社員食堂で出される普通の定食だった。
その料理を作っていたのは、
六十三歳の調理員、
里藤美智子さん。
会社がまだ小さかった頃から、
二十年以上、
毎日社員たちの食事を作り続けてきた人だった。
美智子さんは、
朝五時には出勤し、
誰より早く仕込みを始める。
忙しくても、
疲れていても、
料理だけは絶対に手を抜かなかった。
社員の好みも覚えていて、
「今日は寒いから少し味を濃くしよう」
なんて小さな気遣いも欠かさない人だった。
でも営業部の幹部たちは、
そんなことを知ろうともしない。
「魚パサパサじゃねぇか」
「こんなのコンビニ弁当以下だろ」
「年寄り使うからダメなんだよ」
笑いながら好き放題言う。
さらに課長の一人が、
味噌汁の器を乱暴に置き、
中身を床へこぼした。
「うわ、汚っ」
すると周囲はまた笑う。
美智子さんは何も言わなかった。
ただ静かに布巾を持ってきて、
床を拭き始めた。
その背中に向かって、
黒田部長が言う。
「給料泥棒って言葉、知ってる?」
食堂の空気が凍った。
若い社員たちは皆、
俯いたまま何も言えない。
美智子さんだけが、
小さく「申し訳ありません」と頭を下げた。
その時だった。
――ガラッ。
突然、
食堂の扉が開いた。
全員が反射的にそちらを見る。
入ってきたのは、
黒いスーツ姿の男。
その瞬間、
食堂の空気が変わった。
営業部の幹部たちの顔色が、
一気に青ざめる。
佐藤社長だった。
社長はゆっくり食堂を見回した。
床にこぼれた味噌汁。
散らかった食器。
そして、
布巾を持ったまま立っている美智子さん。
数秒の沈黙。
その後、
社長は低い声で言った。
「……どういうことだ」
誰も答えられない。
さっきまで騒いでいた黒田部長ですら、
口を閉じていた。
社長はさらに一歩前へ出る。
「お前たち、自分が何を食ってるか分かってるのか」
空気が張り詰める。
「この人はな、会社が赤字だった頃も、
ずっと社員の飯を作り続けてくれた人だ」
社長は、
美智子さんの前に落ちていた味噌汁の器を自分で拾った。
「お前たち営業部が、
接待だ、成果だと言っていた時も、
この人は毎朝五時から出勤してた」
誰も顔を上げられない。
そして社長は、
黒田部長を真正面から見た。
「“犬でも食わない”?」
静かな声だった。
でもその一言だけで、
黒田の額から汗が落ちた。
社長は続ける。
「なら二度とうちの飯を食うな」
完全な沈黙。
食堂中が息を呑んでいた。
その日の午後。
営業部の幹部数名には正式処分が下った。
減給、
役職停止、
始末書。
さらに食堂の掲示板には、
一枚の紙が貼り出された。
そこには社長直筆で、
こう書かれていた。
『食事を作る人への敬意を失った時、
人は仕事でも必ず誰かを見下す』
その下には、
小さな文字で続いていた。
『温かい味噌汁を、
いつもありがとうございます』
翌日も、
美智子さんは変わらず朝早く食堂へ立っていた。
いつものように、
静かに出汁を取り、
味噌汁を作る。
でもその日から、
食堂で「いただきます」を言う社員が少し増えた。