夏の帰省だった。
義実家は静かで、
昼は賑やかなのに夜は妙に暗い。
でもその日は違った。
深夜2時。
肩を強く揺さぶられて起こされた。
目を開けた瞬間、
夫の顔が近かった。
異常だった。
青白い。
目が焦ってる。
「静かにしろ。今すぐ起きろ」
声が震えていた。
「え……どうしたの?」
そう言いかけた瞬間、
「声出すな」
即止められた。
ただ事じゃない。
そのまま無言で外へ。
靴もまともに履けないまま、
引っ張られるように車へ乗せられた。
エンジンがかかる。
ライトはつけない。
そのまま走り出す。
そして、低い声で言われた。
「絶対に後ろを見るな」
心臓が跳ねた。
意味が分からない。
でも、聞けない。
夫の手が震えてる。
ハンドルを握る力が異常だった。
私は前だけ見た。
でも、後ろが気になる。
“何かいる”気がする。
そんな空気。
「……子どもたちは?」
やっと出た言葉。
「置いてきた」
一瞬、思考が止まった。
「は?」
でも夫は続けない。
ただ運転だけ。
その時、気づいた。
これはパニックじゃない。
“分かっててやってる逃げ方”。
しばらく走って、
コンビニの明かりが見えた。
やっと止まった。
そこで初めて、息をした。
「……何があったの?」
夫は少し黙って言った。
「……親父だ」
「え?」
「酒飲んで、暴れてた」
一瞬で現実に戻った。
あの異常な雰囲気。
全部繋がった。
「昔もあったんだ」
夫が言う。
「俺が子どもの頃」
「母さんも止められなくて」
だから逃げた。
今回も。
巻き込まないために。
その時、スマホが鳴った。
義母から。
メッセージ。
「戻ってこないで。今夜は絶対に」
私は画面を見て、理解した。
さっきの“後ろを見るな”。
あれは——
恐怖じゃない。
“見せたくなかっただけ”。
子どもにも、私にも。
あの家の現実を。
私はゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
夫の手に触れた。
震えてた。
さっきまで強引だった人の手じゃない。
ただの、守ろうとしてる人の手だった。
「戻らない」
それだけ言った。
その夜、初めて思った。
怖かったのは“何か”じゃない。
――家の中だった。
これって、
逃げて正解だったのか、
それとも向き合うべきだったのか。