「一人暮らしなんだから暇でしょう、旅行の手配くらい全部やってよ」――智子は喫茶店で紅茶をかき混ぜながらそう言った。宿も電車も行き先も、私に全部任せろというのだ。膝に負担のかかる食べ物や、人混みの苦手な智子のために、私はノートに細かく条件を書き込んだ。階段は少なく、温泉まで遠くなく、静かで海が見える部屋――些細な希望も逃さずメモした。
旅行当日、駅で智子は眉をひそめた。「朝早すぎるわ、景色も見えにくいじゃない」――けれど、私は黙って席を確保した。送迎車で旅館に着くと、智子は少し黙り、そして窓の外の海を見て小さく言った。「景色、いいじゃない」――その瞬間、私は胸の奥が軽くなるのを感じた。
夕食には刺身や焼き魚を用意し、貝類は抜いた。智子は味を褒めず、静かに食べたが、その沈黙には満足が含まれていた。夜、布団に入る前、智子はノートを手に取り、私の細やかな配慮に気づいた。「全部、私のためだったのね」と小さく呟く声は、昨日の文句とは別の、素直な感謝だった。
翌朝、智子はまた静かに朝食を口にし、私に向けて言った。「ありがとう、麻里子」――その一言で、六十年続いた友情は確かに変わった。小さな気遣いと感謝の積み重ねが、私たち二人を再び笑顔にしたのだった。