父は、事故で左手を失った。
当時の私はまだ幼く、その事実をどう受け止めればいいのか分からなかった。父は家の中では明るく振る舞っていたが、袖口の空白を見るたび、私は胸の奥が締めつけられるような気持ちになった。
そんなある日、父の友人が家に遊びに来た。玄関先で父を見るなり、彼は紙袋から一本のマジックハンドを取り出し、笑いながら言った。
「はい、これ。マジックハンドww」
私は一瞬で顔が熱くなった。
なんて不謹慎な人なんだ。
父の傷を笑いものにするなんて、絶対に許せない。
そう思った私の前で、父は腹を抱えて笑った。
「お前、相変わらずひどいなあ!」
二人は昔からの悪友のように笑い合っていたが、私はその光景をどうしても受け入れられなかった。父の前では黙っていたが、心の中ではずっとその友人を嫌っていた。
やがて年月が過ぎ、父は病で亡くなった。葬儀の日、あの友人は誰よりも長く父の遺影の前に立ち、静かに頭を下げていた。
成人したある日、母がぽつりと話してくれた。
「あの人ね、お父さんが一番落ち込んでいた時、毎週のように来てくれていたのよ」
私は言葉を失った。
事故の後、父は何度も部屋に閉じこもり、「もう何もできない」と泣いていたらしい。そんな父を外へ連れ出し、無理やり笑わせ、普通に扱い続けたのが、あの友人だったという。
「かわいそうに扱わないでくれたから、お父さんは救われたの」
母の言葉に、私は胸を打たれた。
あの日のマジックハンドは、父を傷つけるための冗談ではなかった。
父を“失った人”ではなく、昔と同じ友人として見るための、不器用な優しさだったのだ。
私はようやく気づいた。
本当に父を支えていたのは、同情ではなく、変わらず笑ってくれる存在だったのだと。