新人が入社したのは、春先の忙しい時期だった。初出社の日、私は事務手続きの一環として淡々と伝えた。
「免許証・保険証・車検証のコピー、持ってきてください」
新人は一瞬だけ表情を曇らせたが、「分かりました」とだけ答えた。
しかし4日経っても提出はない。業務にもまだ慣れない様子だったため、私は少し強めに催促した。
「早急に持って来て下さい。手続きが進みません」
その翌日から、彼は会社に来なくなった。電話もつながらず、メールも返信はなかった。
当時は「最近の若い子は責任感がない」と片付けていた。欠勤扱いとなり、そのまま自然消滅のように退職扱いになった。
それから3年が過ぎた。
人事制度の見直しで個人情報の取り扱い研修を受けていた時、ふと当時の書類提出項目が議題に上がった。
「採用時に車検証コピーまで要求するのは過剰ですね」
その一言で、記憶が一気に蘇った。
あの新人は、車通勤の申請もしていない段階で、車検証まで求められたことに強い違和感を抱いていたのではないか。
さらに保険証コピーの扱いも曖昧で、個人情報の目的説明も不十分だった。
今なら分かる。当時の私たちの対応は、必要以上に“情報を集めすぎていた”のだ。
おそらく彼は不信感を抱き、「この会社は危ない」と判断して去ったのだろう。
あの時の“ブッチ”は、無責任ではなく、彼なりの自己防衛だったのかもしれない。
そう気づいた瞬間、書類の山がやけに重く見えた。